野村秋介の自刃行為を好意的に評価し追悼する人物がNHK経営委員に相応しいかどうかと野村秋介を人物として(全面的ではないにしろ)評価するかどうかというのは全く別の話として捉えないとめんどくさい。
例えば、三島由紀夫が自刃したことと三島由紀夫の文学作品、またその思想を評価することは完全に分けて考えることは出来ないけれども、それでも個々に評価することは出来る。
また、評価と批判を並べ立てることも出来る。
今回の件は行為についての礼賛であり、またその内容が極めて私的な社会観に基いているというあたりで経営委員本人の人物としての評価にダイレクトにかかってくるというあたりが引っかかりの元なんだろうか。
仮に追悼文の内容が事績に対してではなく人物に対してであればこれほど問題にならなかったのではないかと思うのだが。
ただねえ。件の追悼文、よくわかんない価値観を盛りに盛った感じの魂が別の意味で震えちゃう文章でこれを書いちゃう人をどう扱うべきなのか、ちょっと困っちゃう。