novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

ワニが死んだら儲かった?話

本当に「儲かっている」のかは知らんよ?そのへん、かけたコストに対してリターンがしっかりかかっているのかを評価することは外野にはできないけど。

このムーブ、全く乗っていなかった(ワニが死ぬ予定の話は読んだが100日をかけた伏線、というわけでもなさそうだったので死んでから見に行けばいいやと思っていた…)ので怒る要素すら僕は持ち合わせていないんだけど、「えーなんでー?」ってなる人の気持はわかる。激怒する人の気持ちはわからん(何を期待していたのかがそもそもわかんないんだ)。

ましてや「死を軽々しく扱う」批判は死んだところを読んだあとですら、納得がいかない。仮にあそこに作者の意志が込められているとしたら(表現は独り歩きするものだから作者が何を言おうが関係なく勝手に読み取るけど)、死の日常性ということに過ぎないんだと思うし、我々はその日常性に知らんぷりをしながら生きすぎているということじゃないかとは思っている。僕自身、昭和の生まれではあるが、昔はもう少し「人は死ぬもの」という前提で物事が進んでいた気はする。寺とのつながりが薄くなったり、地域のコミュニティーが衰退するというムーブメントは「できれば死にたくない」の裏返しなのかとは思っているが、人は突然死ぬんだよね。そういった世の中というもの、という観点から考えると、とてもよい締め方だったとは思う(人…ワニだけど…が死して残るものはなにか、という点でもね)。

本件に関して言うと、100日後に必ず(作者が先に死ななければ)死ぬ、というところがまあまあ仕込みとしては新しい感じがしたためいろんなことが起きたと思うんだよね。特に、それが「死ぬタイミングでわざわざ発表される」ことによって。正直、怒るほどではないけど、いやらしいな、とはちょっと感じてしまった。これは作者がどうこうという話ではない。作者が儲かるのはいいことだ。Twitterで毎日投稿して人を楽しませている人に一銭も入らないというのは好きでやっていることであってもできればそうならないほうが良いに決まっているし、楽しんだ人ほど儲かることに喜んであげるべきだと思うんだよ。

でも、この話は難しくて、多分だけど100日楽しんだ人ほど、このタイミングの仕掛けでは、それに乗る意義があるはずの、作者への「コンテンツを楽しむためのダイレクトな投資」という応援ができない。もう楽しみ終わっちゃっているからね。かといって、死んだワニのグッズ買うか?(買う人は当然いるだろうけど)
そのあたりの設定が全体的に雑でやっつけ感のあるイベントになっちゃったのが残念な感じですね。