novtanの日常

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不買運動と倫理

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社会的な行動において無謬性と言うか、神聖性というか、そういうのを求めているのかもしれないけど、この手の話を突き詰めていくと、すぐに「生きてる事自体が罪」にたどり着いてしまうんだよなあ。そういう意味では世界的宗教のわかりやすさってのはやっぱりある。人間が知恵を得たことそのものが原罪である、という考え方ってわかりやすいよね。無垢であることの神聖性とかさ。直接的な描写は減ってきたとは言え、物語においても未だに白痴は神聖性の象徴である、という認知がある。

現実の問題に対処するにあたっては、風が吹いたら桶屋が儲かるが如く、、あるいはカオス理論のごとく、あるいはバタフライエフェクトと称されるもののように、いろいろなつながりの部分が影響を受けることは避け得ないし、そのことによって不幸になる人がいる。じゃあ、人が不幸にならないように行動するのは可能か。いや、君がそこで呼吸をしたことで地球の裏側で嵐に襲われる人がいないとも限らないのだよ、ということを考えると、結局のところ、そこに倫理があるかどうかは最終的には蓋然性と損得の問題に行き着く。そりゃあ不買することはその生産に関わっている人を短期的に不幸にするかもしれない。けれども、それが本当に長期的な不幸につながるかなんてわからない。確かに、息をすることの影響よりは直接的な影響を見積もることはできるし、他者を不幸にする確率は高いだろう。でもそれを倫理というのであれば、そこにある不正を見逃すことで起きる不幸は無視して良いものなのか?

他の手段があるかもしれない?そうだね。あるかもしれないし、ないかもしれない。より良い手段を思いついたら、提案してくれよ。