以下のラインナップを重要なものとしている増田
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- ラーメン二郎(東京)
- 吉村家(神奈川)
- 一風堂(福岡)
- 支那そばや(神奈川)
- 自家製麺 伊藤(秋田)
- 麺屋武蔵(東京)
- 中華そば 青葉(東京)
- 渡なべ(東京)
- ラァメン家 69'N'ROLL ONE(神奈川)
- 煮干中華ソバ イチカワ(茨城)
まずもって二郎が最初に来ているのがよくわからない。いや、わからなくはないけど、正直ラーメン界において二郎は異端中の異端だよな。吉村家(家系)もそう。正直この2つは同じ枠で語るべきかどうかすらわからない。
とはいえ、現代のラーメン専門店のとんがった領域として二郎系と家系がかなりの数を占めるというのは事実なんだよなあ。
一風堂は上記に比べると非常に企業としての立ち回りをしていて、そういう点で重要というのはわかる。少なくとも山頭火よりは上手だった。
支那そばやの影響は、正直良くわからない。薫陶を受けた人がやっているラーメン屋にいくつか行った結果として、なんだかんだですごい人ですごいラーメンだったんだろうなあというのはわかるけど、それでも食ったことないからなあ…
伊藤は、これ重要なの?理由がいまいちわからない。知る人ぞ知る地元の名店が東京進出して有名になりました、は増田の言う通りだけど、それ以上の影響を与えているかどうかわからんなあ…
武蔵と青葉は時代としてもラーメンのスタイルとしても重要なのはわかる。武蔵は今では見る影もない(もしかしたらあるのかもしれないけど)、サンマ煮干し(サンマ節だっけ?)を使ったラーメンで、これがエポックだったんだよな。増田はその点には全く触れてないけど、武蔵は確かにブランド力を活かした多店舗展開が上手く行ったほうだと思うけど、ブランドをどう確立したかのほうが大事だよな。青葉は確立したブランドをそのまま展開しちゃったのがあかんかった気がする。
渡なべ…は行ったことないんだよな。なんども通りかかったけど、プロデュースした数々の店、のイメージが強すぎて。渡なべの重要さはそういう意味では支那そばやと似ていて、多くのラーメン屋を生み出した功績?があるというのはわかる。わかるんだけど、うんまあね…
69'N'はついぞ行く機会がなかった。
イチカワは濃厚煮干しにハマった身としては行きたいんだけど、よっぽど覚悟を決めていかないとそもそも食べられないだろうことが予想されているので行かない。なぜか煮干し系のラーメン屋の一部はものすごい行列がはけない印象があるんだけど、ここは開店直後に売り切れるらしくて、個人的にはそういう店に行くのはしんどいなと思ったりする。んで、ここは和え玉を生み出した功績があると思うんだけど、果たして本当に最重要の一角なのか、と考えるとさてどうだろう。
現代ラーメンにとっての最重要、というのを改めて考えると、
- 新しいジャンルを切り開いた
- 現代のブームの源流となっている
が大きいと思うんだよね。そうするといわゆる近代のラーメンが中華スープから派生している鶏青湯をベースとしているところからの差分として考えると
- 博多とんこつ(ご当地系の殿堂枠)
- 喜多方、佐野などのオールドご当地系(古くから展開してた、という意味ね)
- つけ麺の系譜
- (東京)醤油豚骨とその派生形
- ダブルスープ、節系など、変わり種からスタンダードに
- ネオ煮干し系(勝手に付けた)
- 提供スタイル革新(一蘭など)
- ネオ鶏青湯系(意識高い系)
みたいな感じで分類していくとどうなるか、みたいな話と、いわゆる職人、暖簾分けカットで考える話とがあると思うし、具の革新なども考えていいだろう。ってやっていくとまあなかなか選べないよね。
丸長・大勝軒とかたんたん亭の系譜とか、影響力で言うとそういうところも入っていいし、まあこれは10個に絞ってどうこうの言える話ではないんだろうし、本腰入れてラーメン史を書くつもりでもなければうっかりしたことは書けない感じもするね。