この辺の話に限らず、もともとある程度「閉じた」社会のお約束を、もう修復不可能なほど「開いた」社会になってしまったウェブの時代においてなんのreviseもせずに適用しようとする人たちは社会の変化に真摯に向き合っていないか、旧来の体系化されたものを失うことが嫌かのどちらかだとは思っています。
開いた世界において、多様性とは認めるものではなく、ただ純然とそこにあるものになってしまっている。別に閉じた世界にある種の価値観に基づいた規範があることは共同体の有り様としては問題ない(厳密に言えばある、のだけど、そこからの脱却を逃げ出すことで達成できるという余地があることが多い)のですが、ウェブによって開いた世界においては逃げ場はないので、従来の特定の価値観による規範というのが人権の問題にまで広がってしまう(政権にいる人がコメントを出すようなレベルのことが誰にでもできてしまうわけで)。だから、ウェブが開かれたままでいるためにはおおよそ原理主義的なリベラルの考え方をベースにしなければ人権が担保されない(ちょっと雑に言い過ぎてるかもしれませんが)。
であれば、ウェブに従来の価値観に基づく規範を作ろう、という話はおおよそ無意味なので規範を作りたい人たちが取れる行動はクローズドなコミュニティーを作ろう、にならないといけない。つまり、ぐれーとふぁいあーうぉーるですな。この手の規範主義というのはおおよそやっていることは中国のインターネット政策と同じゴールに繋がっている。
社会学者の人はもうちょっと社会の変容に目を向けてこういったことを考えてほしいなあ。