novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

時間の無駄を無駄にしたくないみなさん

PR記事の話続き。

僕ちょっと理解できないんだけど、ぶっちゃけ、面白い話も面白くない話も、時間の無駄以外の何物でもないわけじゃないですか。ましてや「広告記事じゃなければ面白くなくても許容」というのであれば「無駄だから読みたくない」という話とまったく噛み合ってないじゃないですか。なんだったら広告ってのは時と場合によって個人にとって有用なこともあるわけですよ。

ソーシャルな共有の一番の利点は、「せめて、面白いものだけを」というニーズにある程度答えられている点であって、例えばFacebookでタイムラインで誰かがシェアした風広告とか互助会ブクマでホッテントリみたいなのはそれを悪用した(逆に言うと、それにアダプトした手法の)問題点ではあるけれども、それにしたって信頼できる「人」の情報を追いかけるだけでも良いわけです。もっというと、そういう人はかなりの時間のムダを厭わず(広告に多数引っかかりつつ)、いい記事をシェアしてくれている神かもしれないわけです。

で、それが本来はメディアの役割だったわけですよ。関心事の近い人達をうまく集積するっていうね。

ウェブは広大なので、ボーダーラインを設けずに物事を見ようとするのはそれ自体が時間のムダだし、その自己フィルターがうまく機能しないことをどうこう言うのは、ギガが減るレベルの子どもたちならともかく、いい大人だったら「リテラシーが低い(または古い)」と言うだけの話なんじゃないかなー。

趣味を優先すると「ちゃんと仕事をする」ことが選択肢になる

僕は20年近く、新卒で入った会社で働いている。SIerなのでもちろん、死ぬほど忙しいときはあるし、ブラック企業的なゾーンも体感した。だけれども、本質的には「善」な会社であり、特にここ10年くらいで残業もだいぶ減った(ただし現場による)し、減らす努力もその評価もしているし、現状は法令に違反しているレベルの残業は全社的にもない。

ところで、こういう記事を読んだ。
dot.asahi.com


ううむ。20年くらい、仕事とは別に趣味にも勤しんできた僕からすると、仕事をきっちりして、評価も上げて収入も上げないと一生趣味にいそしむなんてのは難しいぞ、と思う。単なる「労働者」として自分を規定しているのであれば、会社の空気も読まず、評価も気にせず、昇給を期待せず(これは自分の能力を必要以上にアピールしない、ということだ)、ただ趣味(余暇ではないよね)のためにだけ生きるという覚悟で働けば良い。もちろん、それだと最終的にはお金の問題で趣味がドンづまる可能性がある。

うちの上司はある意味誰も真似出来ない(しようとも試みないレベルの)超人だが、若い頃から全力で仕事をした挙句、バンドの追っかけのために客の打合せ時間を変えさせるという豪腕を発揮していた。趣味に費やす時間というのは、自身の有能さにより勝ち取るものだ。僕にしても例外ではない。日々の「現場作業」に忙殺されなくてよいポジションに早々にたどり着いたため、土日が仕事になることはめったにない(当然、事前に本番などの予定が入っていたらその仕事はキャンセルだ)。

余暇優先、というのは個人の選択なのでそれを選べる社会というのは大切だと思う。しかし、この記事に見える余暇優先な若者は人生設計があまりになさすぎ、目先の快楽に追われているだけなのではないかと思う。

ヨッピーとPR記事の話

ヨッピーさん(以下ヨッピー(どういう意味だ))の各記事はわりと高い確率で面白いのでこの話の肝は「PRだろうとなんだろうと誰が書いたか認識されていればそれなりのバリューがつく」という部分なんだよね。ヨッピーの記事は、あ、これ広告なんだ、というか広告なの?担当者怒られないの?wwwというパターンが結構多くて、まあでもちゃんと広告(というか宣伝?)になっているよね、と思う。だから、「ヨッピーの広告記事」と「ヨッピーの非広告記事」には実際のところあんまり差がないと思ったりする。

なので、これは広告記事も書くライターの特異点を表している。のだ。

だから、「PRつけろよ」と言っている側がわかってないのはそれが「くだらない記事を読まないための防止」としては機能しないってことなんだよな。だってPRじゃない記事の9割はつまらなくてくだらない記事なわけ(これもだ)。

でな、こういう問題が出るのは昨今のウェブ界隈がブクマとかリンクシェアによる流入を期待しているから、という部分が大きいからだよね。そもそもの話、「媒体」がはっきりしていればこの問題はあまり起きない。「虚構新聞」だってそうなんだよ。サイト名つけろ問題と本質的には一緒なわけ。ウェブは媒体感が弱すぎるわけですよ。だからDPZみたいな存在は貴重なわけで。

メタ情報として、「タイトルに」PRとか著者がついているのってまあやっぱりダサいわけ。逆に言うと、ダサい以外の実害はない。それよりも、記事を載せる側のサイトが媒体感をどんだけ強められるのかってのが一番大事なわけで、いろんな媒体に書かなきゃならないライターの人が個人で解決できる問題ではないんだよね。もうちょっと言うと、ウェブの目に見える部分のインタフェースにメタ情報が足りないってことなんだけどね。

この話はステマとかそういう話じゃなくて、ウェブの構造上の基本的な部分の問題だとは思うし、それを解決するのはサイトではなくリンク側なんだろうな、とは思ったりします。