novtanの日常

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嫌いって言うとお気持ちって言われるじゃんって本気で言ってるの?

先のエントリに結構この手のコメントついてんだけどさ、これ本気で言っているんだとしたら3年ROMったほうが良いんじゃないかって思うんだよなあ。

お気持ちって、嫌いっていうことに対して言われているんじゃなくて、「私の嫌いって思いを社会的に尊重すべき(なのでその表現は滅殺しろ)」という主張に対して皮肉的に使われている言葉だよね。僕自身は強くこの文脈に乗っている場でしか使わない(そもそもほぼ使わない)つもりでいるけどさ、単に嫌いって言ったらお気持ちって言われてるんだとしたらそりゃ言っている方が聞きかじった言葉を適当に使っているだけだし、言われたって言って先のエントリみたいなのにそういう反論をしてくる方も聞きかじった言葉で適当に使っているだけだよね。

こういうのがまた新しい対立や断絶を生むわけじゃない。ある種の概念を一言に凝縮して常にそれで応答を済ますってのはコミュニケーションとしては手抜きだしさ、ちょっとちゃんとした文句がある人は昔だったらブログ書いてトラバ送ってきたもんなんだよな。そういう意味では今のウェブのコミュニケーションはツールが進歩しているにもかかわらず10年前より大幅に劣化しているよね。

最後の部分に書いたとおり、そういう「お気持ち」的なものを言われた対象の存在価値を左右するレベルの言葉にするのやめようぜ、というのが僕の考えではあるんだけど、嫌いって表明することそのものに対してNGを突きつけているわけでもないし、もうちょっと慎重でいいんじゃないのってだけですよ。カテゴリーによるゾーニングが実質機能しないウェブでわざわざ嫌いなところに乗り込んできて社会的な問題を高らかに謳うな、ということに過ぎないんですよ。最初の問題で言えば、ジャンププラスって場で発表するには相応しくないのではないか、という議論はもちろんあって良いんだよ。仮にその発端が「嫌い(あるいは気持ち悪い)」にあったとしても、そこには別の理路もあって、批判に値するから、であればね。それでも単に嫌いっていう感情を発露することで世の中が正しく(何が正しいかは簡単にはわからんけどさ)変えられるのであれば堂々と嫌いだけを根拠に運動を繰り広げれば良いんじゃないかな。なかなかそういうのはないと思うけど。

繰り返しになるけど、単に嫌いを表明すること自体は、その嫌いが自分の気持ちの範疇にとどまっていて、他人に配慮を求めない(求めたらお気持ちだよね)のでれば、それは自由だと思う。ただ、その嫌いという言葉は他人を深く傷つけることがある言葉だから、表現には気をつけたほうがみんな幸せだと思うし、場をわきまえて発言するべきだとは思う。最後に醤油の話を持ち出したのは、そういう感情の素直な発露、というのは社会を構成する個としては可能な範囲で抑制すべきことだし、そういう訓練を僕たちはしなきゃならないという意識があるから。面と向かってやったら「嫌な奴」になるような行為をウェブだからといってやたらめったらやるのはどうなのってことでもありますよ。

もっとも、僕自身そういう「嫌な奴」であることの自覚はあるけど。

配慮を求めるってのもちょっと意見が分かれそうな話ではあるね。嫌いってのは他人にとっては言わなきゃわかんないかもしれないから、「これ嫌いなんだけど、もうちょっとなんとかならんのか」というレベルの話はカジュアルにしたほうが良いとは思う。未だに30年以上前だけどゴールデンタイムにバタリアンの映画のCMやってたの恨みに思っているので。

今はもう、低俗という定義がゾーニングしてくれていた時代ではないよね

この件が色んな意見を呼んでいる、ということそのものがまずもって違和感のある事態な気がするんだけど、昨今のウェブのいろんなアレ、ということを考えるともうそういうものとして考えるしかないのかなーと思ったりはする(超曖昧)

togetter.com


えーと、僕自身はこのマンガはありきたりなテーマをありきたりな表現で書いているように思えてあまり関心はしなかった(単体で見てどうかというと、よくできているとは思う)。で、いまさらこの手のわりかし非現実的な舞台設定を現実になぞらえて問題視するような人がいるとは思ってなかったんだけど、こういうマンガが「話題になる」というのはそういうものに目くじらを立てるような人にリーチする、ということでここ最近とみに思うウェブの最大の欠点を体現した一つの事例だよね。

こういった問題は、ウェブならではの問題でもある一方で、いわゆるサブカル系の文化的地位向上に伴う副作用でもあるかな、と考えることもできそうだ。もともとマンガなんてマンガであることそのものが低俗な空間を持っていたわけだから、表現が低俗であったり、非現実的であったりすることに誰も違和感を持っていなかった(というのはきっと違うのだろうけど)し、低俗であること前提で制限(というか非評価化)されていたわけなので、そういった大きな文脈なしに「感動する」「泣ける」「考えさせられる」「わかりみが深い」というような評価だけが話題になると当然文脈の読めないアホがカウンター言説を振り回してくるようになるわけ。
でもそれって、マンガがメインカルチャーと位置づけられる昨今においてはある程度仕方がないことなのかもしれない。まだこれが書店の時代であれば、レーベルでの区別みたいなものも効いたかもしれないけど、今や「いやそれSPAだし」も言い訳にならない時代なので難しいかもねーとなると表現において瑕疵(と言ってしまうと正解なんてどこにもないので困るんだが)のあるマンガがそれ以外の部分(いやそれそのマンガのメインテーマだから)で褒め称えられることを制限される世の中になるのかもしれないよね。

いやいや、「俺は好き」でいいじゃん、とは思うよね。なんで「俺は嫌い」は社会的なアプローチで問題化させられるのに、「好き」は好きって言うしかないんだろうね。真に価値のあるものだけを選別したいというわけではない以上、好きなものをカジュアルに好きということで十分じゃないか、と思うのだけど、「この部分はちょっとおかしい」ということで好きという自分の気持ち自体に価値がないかのように批判されるのはちょっと何言ってんだかわかんないよね。

外国人の子供にとって醤油の匂いは嫌いか違いか的な話も話題になったけどさ、多様性の中に生きる僕たちに必要なのは、内心はどうあれ、その「嫌い」って本当に言わなきゃいけないの?言うにしても「だから存在自体に価値がない」という勢いは必要なの、ということをちゃんと考えようってことだと思うけどね。

カネキッチンヌードル@東長崎

隣町(チャリで15分~30分の範囲は僕の中では隣町である)にあるカネキッチンヌードルというよーわからん名前のお店は最近とみに流行っている「ビブグルマン掲載」のお店でありますが、西武池袋線練馬近辺にはRAMEN GOTTSUとか麺や金時とかすでにそういうお店があり、別に珍しいものではないのではあります。そもそもラーメンにおいて、食通を気取ってなんとかかんとか言う必要はなくて、うまいかすげーうまいか死ぬほどうまいと言っていればよいのよ?

とはいえ、うまいラーメンは食いたいのでチャリを飛ばしていってみる。

メニューは豊富ですが、醤油がおすすめと書いてあるのでまず醤油。初めて行く店で限定を頼む癖はだいぶなくなってきた。リピートできる距離にあるのでなおさらスタンダートで見極めたいわけです。チャーシューはなんかお得感があったので乗っけた。豚3鳥3らしい。1100円なり。

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うーん、美しい。P20 Proの実力である。そろそろロゴは外そうかな…下に鳥チャーシューが隠れています。

で、僕は低温調理したチャーシューがうまいと思ったことがあまりないだけど、ようは「肉の味を喰らえ」みたいな感じがして、いやいやちょっとまって君ラーメンの具だよね?肉を肉として食べるなら肉屋に行くから…ってなっちゃうことに今回気づきましたね。どういうことかというと、僕史上最強にこの豚と鳥はうまかった。鳥チャーシューなんてたいていムネでタンパクで面白みのない、なんでラーメンの具を気取っているのかわからないものになっている事が多い(だからモモのあぶり焼きみたいな方がラーメンに拮抗してうまいと思っている)んだけど、ここのはちょっと違う。きちんと「ラーメンの具でござい」と自己主張をしている。「俺うまいよ、スープと食べるともっと美味いよ、麺を食べながらがっつくととても良いよ」と言っているようで素晴らしい。これだけでまた来たくなる。ちょっと高いけど…

肝心のラーメンの方はというと、こりゃまたなんの変哲もない醤油ラーメンなんですが、極まっている。最初味が薄めかな、と感じるんだけど、食べるにつれ存在感の増すスープ。麺はもう少しスープが絡む感じならよいかなーと思うんだけど、後半戦になると嫌味のない感じになってこれもよい。こういう良さというのは材料に金をかけて丁寧に仕事をしないと出てこない良さなんだろうなーと思いつつ、類似した味はチート行為でもある程度は出せるようにも思える。だから、そのある程度を超えるのはけっこう大変だよね。ラーメンに許される値段の範囲内では。

という意味では前回のお店に比べて(場所のせいもあるだろうけど)こちらのほうが格上なんじゃないかと思ったりしてしまう。庶民の味であるところのラーメンという食べ物を逸脱しない範囲でのある種の完成形に近いのではないかな。淡麗系の極北と今のところは評価したい。