novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

活躍したスポーツ選手を潰しに行くメディア

先週、センセーショナルな全英女子優勝を飾った女子ゴルフ期待の新鋭渋野選手。ゴルフに興味ない人は全く知らないでしょう。宮里藍のときも、石川遼のときも、もうちょっと助走があったので、突然現れた感が半端ないので急に沸き立つのはまあわかるんですけど、何しろ今週のゴルフ中継がひどくて、渋野とその他大勢みたいな扱い。優勝争いもしてないのにね。ギャラリーに悪意はないと思いたいけど、石川遼のときと同様、彼女がストロークしたら他の人を気にせず動き出す始末。

本人も熱があったり声がかすれたりしているのにね。なお、そんな中でよく頑張ったと思う。

そりゃね、海外の試合で優勝するってことは(それがメジャーでなくても)大変なことだってのは確かですよ。でもこういう扱いをすることで余計な疲れを選手に与えてどうしたいんでしょうかね。プロは腕っぷしで稼いでいるわけだから、その稼ぐ邪魔をするのって営業妨害じゃないですかね…とか。

きっとソフトボールの試合とかにも大量に押し寄せるんだろうな(彼女はソフトボールが好きで続けているらしい)。

空気を読め、オレは読まないけどな

表現の不自由展に限らず、なんだけど、現代アートというもの(の、主に社会的な批評性)は文脈ありきのものではあるよね。外部的な文脈が会って初めてアートとして成立するようなもの(それこそ、便器をただおくことがなぜアートになるか的なね)。

展示物として相応しいかどうか、あるいは、その芸術性のレベルはどうか、というものにしたって、それが単体での芸術性を持つものなのか、総体的あるいは相対的な芸術性なのかで評価が難しいこともある。ようは、その展示会から切り離したときにアートとして存続し得ないものだってあるわけだ。

だから、「表現の不自由展」という強い文脈下におかれた作品?をそこから切り離して問題とする、というのは言ってみればゾーニングがなぜ成立しうるのかに通じる重要な事案なんだけど、なぜかそこにある展示物そのものの妥当性への非難が行われているよね。それこそ、ストリップ劇場行ったらわいせつ物を見せられた、みたいな難癖でしかないと思うだけど。

だから、ヘイトスピーチに満ちた展示空間、というのも本来は成立しうる、とは思っている(今回のはそういうものではないが)。

一方で、「公共であること」の難しさ、というのは並行して存在する課題だ。ここにおいても、公共性から逸脱しているかどうかの判断は展示物そのものではなく、文脈について判断すべきではあるよね。

問題はそういう社会を成立させている不文律みたいなものを無視して批判(非難)するというのがわりと容易だ、というところにある。これまでの日本が狭い国土のわりにその中でも更に狭い地域での強い文脈(因習とも言う)を持っていた反動で、「抑圧から自由になり、本音を語ることが正義」みたいなものがさも真実かのように語られていることも多いと思うけど、僕たちはそういった因習的なものとは別に、民主主義国家としてのあるべき考え方にある程度縛られて社会を形成しているわけだから、そこのルールを抑圧と同じレベルで「打ち砕くべきもの」と捉えてはならないわけだ。他国の民度を揶揄する人が本邦のそういった民度の低下を憂いてないことが問題の本質的な部分なのではないかとは思う。

つまり、今回の問題は表現の自由の問題ではなく、民主主義存亡の危機といっても大げさではないだろう、と思う。展示内容が悪いからガソリン火付けで脅されても当然?んなわけねーだろ。こんなんじゃそのうち「銀英伝が予告してた」みたいになっちゃうぜ…そろそろ憂国騎士団来るよね(香港ではもう来ているような気もする)

AI、ビッグデータ、個人情報

今回のリクルートの件も氷山の一角だと思うけど、ビッグデータというバズワードで始まった個人データの蓄積はまあまあエビルな方向に問題を起こしてはいるよね(の一つの帰結がGDPRでもある)。

AI?の判断がインプットデータのバイアスによって偏るなんてことはGoogleでも何度もやらかしていることで、一切の正解がないところから何かを導き出す、というのはかなり難しい中で、最初からバイアスのかかった「学習データ」を与えられたりするんだからまあまあ当たり前の話で、そもそももとにするデータ自体が社会によって与えられたバイアスのかかった人間の活動の成果でしかなかったりするわけでさ。データにはルールとかモラルとかが含まれていないことが多いので、インモラルな行動を取ることが成果を上げる近道である(短期的には社会的な事実)みたいな話にすらなるかもしれない。

まあ、そのへんはやり方を間違えないことが肝心、という話ではあるし、間違えないでわかることって意外と少ないのでは、という話でしかない。

ところで、よく、「ビッグデータは個人情報を個人がわからないように特徴抽出した結果を使っているから個人情報ではない」みたいに言われることがあるけど、これの一番の問題は、「そういうことになっているけど大抵の場合、審査されているわけではない」ということで、ようは紳士協定に毛が生えたようなものだ(もちろん、破っていることが発覚したらダメージを受ける)。そして、往々にしてこの手の個人のマスキングは意図せずして不十分である(よく例に上がるのは、ホニャララ県ホニャララ郡ホニャララ町の女子高生というデータ、対象一人やんけ、みたいなの)。

学生の内定辞退率、で仮に匿名のデータを売っていたとする。リクナビから企業にもともと渡るデータは学生の素データだけである、とすると、匿名データでもらって役に立つには強く属性に紐付いたデータである。例えば、22歳の学生は内定辞退率が高い…はあそうですか…25歳の学生は…って受験者3人くらいしか居ねーな…こいつか?みたいな?それじゃ役に立たないよね。でも、報道されていた「内定後もサイトを頻繁に見ていた学生」なんてのは企業は誰が候補なのかそれだけもらってもわからないし、自分たち側で収集できるデータではないので、なんの役にも立たない。であるならば、有料で売るデータとしてはやはり人を特定できるデータが含まれていることが自然だ。AIがなにをやっているか、なんてのはあんまり関係なくてね。まあ仮にAIが匿名化を徹底した結果としてアリャアリャ区アリャアリャ3丁目に住んでいる学生は辞退率が高いみたいな分析結果を出してきてそれを売っているので大丈夫とか言ってるとしたらハアそうですかバカですか、と言わざるを得ないんだけどな。