僕自身、自分が書いていることが面白ければいいなーという「祈るような気持ち」があります。しかしながら、現実は厳しく、面白いという評価を貰えるエントリーって5%くらい(ちなみに単なる体感)。5%ですよ。優秀だよね!凄いよね!別に評価求めてないけどね!
そういうものなんだと思うんですよ凡人としては。しかしながら、凡人がヒット作となりうるエントリーを書いたとしても、それが認知され広まることはめったにないのではないかと思ったりします。僕はたまたま環境に恵まれたというか、当初はてブに拾われやすいような話題を中心にしていたことと、自分がブクマカーとしてそれなりに認知されているという点がよかったんだと思う。
ということを考えると、「自分にしか書けないこと」だけを書くことがブロガーとして正しいのかというところについても多少考えざるを得ない。つまり、宣伝は必要だということで。
技術が技法に勝るのは、その個人的卓越性ではなく、その普及可能性と再現可能性にほかなりません。この点において、昨今の面白くもクソもないブログ運営術は、剣豪一個小隊をなぎ倒すマスケット兵一個大隊に比喩したくなるものがあります。
「面白さに頼らない」ブログ運営の技術、侮りがたし - シロクマの屑籠
という点には僕のそういった経歴からすると、若干異論があって、つまり、「PV力のある個性のないクズ」なる評価を得てしまうという副作用が大きすぎて、長い目で見ると戦術的にはともかく戦略的には補給を無視して進軍しているようなものではないかって思うんですよね。
なので、内容的にはクズでも人間的にはクズでないことがわかるような記事を地道に書き、認知度自体は上げていき、たまにいいエントリを書けるという人が最後は勝つんじゃないかと思うんですよ。その点で言うと、互助会的な存在自体は実は忌避すべきものではないとまで思うんだけど、何が嫌かってクズ記事をクズって言わないところなんだけどね。本人にしか書けないことを書くのであればそれが客観的に見て何の価値のないものであっても、そこに人格が必ず反映されているってだけでも全然マシで、判で押したようなエントリは実は客観的に見たらそういう記事より何倍も価値があるんだけど、突破すべき対象を見失っているという点で全く役に立っていないのはクズ記事と同様なので、人格が見える分クズ記事のほうがまだましというパラドキシカルな結論に達してしまうわけですな。
クズクズ言ってますけど、このエントリみたいなクズ記事であっても量産型記事よりマシって思ってくれる人がたくさんいるウェブに僕は生息していると思っているんだけどね。クズ記事上等です。戦術も戦略も、何もかもただ個人の認知のためだけにあるのですよ。