お盆に墓参りをできる日程が立てられたので弾丸ツアー的に田舎に行ってきた。帰省といっても親の実家であり、住んでいたわけではないんだが、とはいえこれまでの人生全体で考えると2~3年分くらいの日数は暮らしているので、故郷的なノスタルジーはちゃんとある場所ではある。隠す話でもないので簡単に所在を述べると、広島県庄原市東城町ということろである。谷繁の出身地だね。
昭和の頃は「町には」人は結構いたし、家の周辺(山奥なので、隣の家は300mくらいは離れているが)の家々も大体ちゃんと人が住んでいたものだけど、今や空き家も多いし、とはいえ放棄された集落というわけでもなく、米やら野菜やら菊やらを栽培している農家がしっかりといる。けど、もう交通網は完全に崩壊はしている。昔は近所(と言っても歩いていくとなると大変)の商店で日常のもの(特に喰い物)はなんとかなったし、ちょっとプラスで欲しいものがあれば駅(車で20分くらい)の農協にいくし、それでも足りない場合は町(車で60分前後)に行くわけだ。なお最寄りの国鉄の駅は遠すぎて使い物にならない。
家の周囲に沿っていた3桁国道(当然1車線レベルの幅しかない)はいつの間にか整備されてちょっと離れた場所に新しい道路として開通した。これのお陰で町まで60分が15分に短縮されるという恐ろしいことが起きた。ともあれありがたいことである。
電車の状況も大きく変わった。子供の頃は広島まで新幹線で行き、そこから芸備線の急行たいしゃくで備後庄原(母親の実家がこっちにあった)まで行っていたものだ(広島から2時間はかかる。各駅停車だと4時間かかった)。そこから東城方面にもそれなりの本数が出ていたから、列車で移動することも現実的(ただしお迎えは必要)だった。そのうち伯備線が整備されて新見経由ルートも現実的になったんだけど、まあ伯備線の特急というのはとにかく揺れるので乗り物酔いが酷かった。それでも列車があるというのはありがたいことであって、今やこれもんである。
これがド田舎の現実… pic.twitter.com/zkLZOqZXiI
— novtan (@NOV1975_2) 2025年8月16日
ここまではここ数年大きく変わってないんだけど、今回帰省して最も変わったのは、このどうしようもない列車の状況を代替するための高速バスの状況悪化でした。元々、広島駅まで直通のバスが日に何本かあったのに、直通なくなっちゃった…しかも隣の庄原駅(バスや電車に乗り継ぎが可能)に行くバスも日に数本になってしまった。陸の孤島化が益々進みつつある。もとより地元の人間は車がないとお話にならない生活をしているわけだが、ようは僕みたいな立ち位置の人が来訪することが非常に大変になってしまったということだよね。僕の場合はまだ田舎に父が車で先行している事が多いからなんとかなるけど、そうじゃなければ新見か福山か広島空港あたりからレンタカー借りるしかない(金額のことをおいておけばまあ現実的な選択肢ではある)。
その車も、僕の爺さんたちが頑張って作った中国自動車道のこのエリアの交通量といえばもうさみしい限りである。流通もメインでは使いたがらない。山深く、カーブがきつく、制限速度が遅い区間も多々あるからだ。山陽道が開通して以降、中国道(地元では縦貫と呼ぶ)の存在意義はかなり薄くなってる。昭和の頃なんてお盆に広島方面に向かう車の群れで7時間くらい閉じ込められたものだが…。このあたりはIC間が恐ろしく長く、30km超あるんだけど、IC1本分向かい側の車線から車が来ないことすらある(流石にお盆の時期はそうではなかった)。
で、客観的に見るとこれもう詰んでるんだけど、実際のところ、近所の親戚は元気に農業やってるし、町は人口こそ激減しているものの、活気というほどじゃないにしても機能していてスーパーとかも普通に人が多く集まる。完全に寂れた店しかないという状況では全然ない、というのが地方の問題の難しさを体現しているようにも見える。
特にオチはないんだけど、こうやって地域を維持している人たちの頑張りに「帰るべき田舎」は支えられてるんだなあと思った次第。