novtanの日常

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イルカ漁を禁止すべきかどうかについて考える

伝統文化ってやつは厄介なものです。

アメリカの駐日大使がそういう立場でやめろっていうのは正直越権行為だと思うんですよね。個人としての感想を述べるっていうわけにも行かないのが立場というものですしね。

ただ、イルカ漁をいつまで続けるべきか、ということもそろそろ日本は考えなければならないことだと思います。

子供の頃(そう、子供の頃w)、「美味しんぼ」で文楽人形のゼンマイにどうしてもくじらのひげが必要なんだという話を見て、「伝統文化守るべき!鬼畜米英の言いなりになってたまるか!」と幼心を刺激されたという黒歴史はあります。くじらも旨いと思ったことがあります。

そういう感傷的な部分から言うと、イルカ漁もクジラ漁も積極的に「止めようぜ」という気はあまり起きないんですけど、一方SF者としての僕は知的な哺乳類と意思の疎通を出来る未来を夢想しているし、もし仮に彼らが歴史を持っていたら「虐殺者」である日本人であることを誇れるのかという問題に直面せざるをえないのですね。まあ黒人は人でないとしていた人たちの子孫が堂々と人間の平等を謳っているという人間の厚かましさを受け入れてもらうしかないのでしょう、その場合。

ただ、文楽人形を守るのはクジラ漁ではなくて日本が誇るテクノロジーであってほしいと思うようにはなりました。

特に食文化においては、伝統というものが必ずしも守るべきものではないと言いたい部分があります。食人の習慣を肯定しうるか、というところからスタートするとどこまでが「許される」のかの線を引くのが難しくなるというのが人間というものでしょう。すなわち、ある程度の割り切りをすることによってのみ他の生物を食すことが出来る。これが現代の価値観です。建前としては。

一方で、ホラーではよくある話ですけど、美食も行き着くと共食いに到達するというのが人間の業ではあります。熊が一度人を喰うと人を襲うようになるという話と同じようなものですね(ちょっと違う)。

食文化の厄介なところは「多様性」を求めてしまうところにもあります。ぶっちゃけ僕は毎日カレーでも生きていける人間ですが、それでも色んな物を食べたいという欲があります。豊かさとは多様性であり、各地の伝統的な料理を現地に行って頂く、というのが贅沢であるとも感じます。

イルカ漁を禁止するというのはそういった多様性の一つを幕引きするということではあります。

であれば、禁止などトンデモナイ、というべきなのか。

長期的に見ると禁止してもいいんじゃないかなあとは思います。人間の可能性は伝統文化に固執することなく多様性を広げていけることにあります。伝統が現代の価値観の影響を受けて変わっていくことは必要です。そして、何より現在の文明は記録という能力を大幅に拡張してきました。価値観を否定するわけではなく、変遷としてとらえた時、伝統文化は記録の中で生き続けることが出来ると思うのです。むしろ、伝統文化に固執し過ぎることは価値観の決定的な相違の中で破壊の憂き目に合う可能性があります。伝統と現代の価値観が決定的な破局を迎える前に、きれいな形で幕を引くのも文化の一つの形なのではないか。

今すぐどうこうという世界ではないと思います。ただ、伝統という言葉で思考停止してしまう文化は結局のところ、生きる屍になってしまうのではないでしょうか。