novtanの日常

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漫画の世界観における想像力の話

ある漫画が現代の価値観において是とし得ない価値観をその世界における正しい価値観として提示したときに、その漫画が現実の論理で裁かれるべきなのか、というのはまあまあ難しい問題なのかもしれません。

明確に「世界設定です」とされたときに、それが作者の理想を反映している、とかそういうのってよく言われるじゃないですか。漫画に限らずね。「最高の専制君主より最低の民主政府の方がましだ」と言ったのはヤン・ウェンリーですが、ここで登場する民主主義は当初は民主主義を悪用した人間に牛耳られていてある意味最低の民主政府以下の状態にあった、というのが話の肝ではありますね。こういう矛盾した状況に対するいくつかの解が創竜伝にいくらかの厨二マインドとともに体現されているというのは間違いないでしょう。アクメツとかもね。でも、それって本当に作者がそうあるべきって思っている世界なのかどうか。

という話をしたかったんではないんだけど。

表現において配慮しろって言う話と、物語における価値観にPCを適用せよというのは本質的には違う話として考えなければならないと思いますが、有り得べき世界の形に対して想像力を働かせることが人間が生きる上で結構大事な話なんじゃないかと思うわけですよ。これは古くは神の国であるとか地獄であるとかそういうものに体現されているよね。地獄なんて人間世界の価値観からするとインモラルの極み(だって四六時中拷問しかない世界でしょ)なんですが、PCとして間違っているから地獄を滅せよとは言われないわけで、そういった世界の形がありうるからこそ我々は自分たちが体験できる唯一の世界であるところの現実をよりよくしようと考えるわけじゃないですか(時として暴走することでこの世の地獄が顕現するわけだが)。

必ずしも現実に適合しない価値観から学べることはたくさんあるし、巨人の肩に乗っているはずでもそこにちょんと乗せられただけではわからないことがたくさんあるんだよね。漫画に限らずフィクションから提示される「今の社会では良くない」価値観について考えられることができることは大事だし、そういうことを考えてこなかった人が例えば子供の「なんで人を殺してはいけないの」という問に対して法律で決まっているからとか悪いことに決まっているから以外の回答をできるのかどうか、ちょっと気になってしまう。