novtanの日常

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多様性の時代に労働者を糾合するのは容易ではない

例の、労働組合平和活動問題の話です。

ブコメにも色々書いたけど、一昔前だったら「給料上げろ!現場改善しろ!」というのは何をおいても実現すべきことであり、そのために手段を選ばなかったとしてもそれ以外のことはどうなってもよい、という意識があったと思うんですよね。当時の労働者でない自分として確信を持って言える話ではありませんが、高度成長期の中で、労働争議というのは自分の人生にとっても重要な活動であったことは間違いありません。

でも、価値観の多様化が進んだ平成の世の中において、組織に迎合しないこと、他人の価値観を認めること、裏返しで自分の価値観を尊重してもらうこと、が社会にとっての非常に重要なファクターになり、それがインターネットの時代によってより加速することで、「仕事が人生じゃないでしょ家族をもっと顧みよう」みたいなのを始めとした、働くことに対する価値観も多様化してしまったわけです。これは、いわゆるブルーカラーが減ったということにも起因しているでしょう。ホワイトカラーがブルーカラー的な働き方をさせられているとしても、そこは厳然としてホワイトカラーの仕事という意識付けはなされている。ホワイトカラーの仕事って、集団でサボっても単品では損害出にくいし、圧力がかけづらい仕事でもありますね。

そんな世の中で、「自分に関係ないどころか正反対な運動に邁進する労組や労組を支持勢力とする政治勢力」にコミットできる人がどのくらいいるのか、というのがこの問題の重要な点だと思うわけです。かつては「待遇改善」というワンイシューだけコミットできればその他はどうでも良かった。今は、そこで運動することが自分の大事なものを脅かすのであればそれが待遇改善に繋がったとしても意味あるのか、と考える人がかなり増えているんじゃないかと思います。

価値観の多様化ってのがリベラルが集団化するのを拒む性質があるだろうというのは以前も書いていますが、この問題はまさにそこがポイントなんだろうと思うんですよね。そもそも「労働者層」という意識がない。

平和活動にしたって、手段を選ばない感が悪目立ちしているじゃないですか。そういうことをする勢力にコミットすることに躊躇する、というのは平成の価値観においては割と当たり前ですよ。とにかくお賃金のためならそんなこと関係なく運動します!っていう人が少なくなり、教育の成果として理知的な考え方をする人が増えているのであれば、そういう人たちを糾合するのに必要なのは極めて知性的な活動である必要があるし、手段を選ばないとダメだとは思うんですよね。与党も無茶苦茶だがお前らも無茶苦茶、となった時点でダメかもしれない。理屈の通らない活動に筋を通していくためには「いいから労組にはいれ」の旧弊から改めないとダメかも知れないけど、そういう改革を行ったところで非常に弱体化するかもしれないですよね。

もう少し透明なシステムの組織にしていかないとこのまま弱体化し続けるのではないかなあ。労働改善より退職転職支援とかのほうが今風かもしれませんし。