novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

ウェブが排除してきたボーダーライン

2000年代の半ば、僕がよく考えていたのは「ウェブは世界の距離を縮めた」ということだったんだけど、それは正しくて、2010年代に入って世界の距離は必要以上に縮まってしまった。元々、文化にはローカル性があり、価値観にもローカル性があるんだけど、今の時代はグローバルに通用する価値観(これ自体はかなり言葉としては嘘をついていて、単に「欧米リベラルの価値観」でしかないんだけど)以外の提示はすぐ批判にされされる世の中になってしまった。

僕としても、基本的な態度としては「そんなのをウェブに公開するほうが悪い」と思っている一方で、特にここ数年についてはどこで何をどんなに慎ましくやっても、ウェブに筒抜けになる、という事例が増えてきている。僕たちは色んな所で住み分けをすることでローカルルールに基づく社会を形成してきたんだけど、その箍が外れかけている。ウェブによる新しい箍は大きな桶を囲おうとしすぎていて、ちゃんと締まらない。僕らは境界線の中で暮らしたいのに、ウェブはそれを安々と越えてくる。これこそが破壊的イノベーションなのだ。イノベーションにおいては破壊されるものがその境界線を持つ人々にとって価値があるかどうかを評価しない。

これは何を意味しているか。みんなが忌み嫌う「監視社会」だ。あれほど政府による監視や規制を嫌がった結果できあがったのがそれだ。別に権力による監視が正しいと言うわけではない。でも、そういったものに反発して作ったはず(これは正確ではないが)のインターネットは、現実的には我々の生活を監視社会に導く最も効率的で効果的なツールだ。

おまけに、この結果は権力に利用されそうだ。ボーダーラインを破壊し尽くした結果として、単なる友人との冗談も、単なる心情の吐露も、単なる痴話喧嘩も、単なるイタズラであっても、監視され、取り締まられ、規制される。これからのウェブは人々の活動を窮屈にすることにしか寄与しない。

単に「誰か」が傷つくといった理由で犯罪になってはならないし、単にイタズラURLに誘導しただけで犯罪になってはならないし、誰もが見破れるジョークが犯罪になってはならない。ウェブはウェブでしかなく、人間そのものでも社会そのものでもない。この侵食の度が過ぎることに対して隣人の監視をしやすくするシステムを提供している企業を規制するのであればともかく、人間を規制してはいけない。

追記

どうも読み違えられそうなので言っておくと、現実→Web方向への展開の度が過ぎる、という話だし、Webでも完全クローズド以外では適用される話だし、ダークウェブとかはどうでもいい話です。