中学生かよ。
そもそも日本においては標識パロディーなどすでにありふれている表現技法であって、それをわざわざ本物の標識に対してやるのは中学生のワルガキがやるレベルのものであって、せいぜい社会への犯行でしかなく権力への挑戦なんていうと鼻で笑われて終わっちゃうわけでありますけどね。
標識の機能性というのは一瞬だけ見たら目を話すことができるところに尽きる(なので文字の視認性や記号のわかりやすさが優先される)ものなんだか、そこに視線を固定するようなものを置くのは自己のもとでしかないと思うんだけどなあ。ねえ。