novtanの日常

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吹奏楽の魅力と問題点について

なんか過去のエントリが突如燃え上がっちゃっててかわいそうな感じもするのでフォローも含めとりとめない話。

ayasumi.hatenadiary.jp
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まず最初に言っておくと、僕はリンク先の筆者の意見に対しては、大筋で同意している。ずいぶんツッコミ受けているところもあるけど、いやいや、この人どうせやるなら吹奏楽編成ならではのサウンドがきちんと反映されたオリジナル曲での芸術性を追求すべきって書いてるのちゃんと読んであげようよって思う。とはいえ、ちょっと具体的な曲などへの言及が少ない中で強い言葉使いすぎちゃってるから反発受けるよなあ、とは思ったんだけど。


勝ち負けの問題じゃねーだろ、というコメントも食らってるけど、そりゃそうなんだけど、そうじゃないんだよ。なんのジャンルでもそうだけど、そのジャンルには謎マウントをするやつが存在していて、様々な(ちょっとよくわからない)観点で勝ち負けを競っているわけだ。だから、大上段でまず言っておかなきゃならないことはあるんだよね。うん、吹奏楽と管弦楽の編成で勝負したらまずもって管弦楽のほうが圧倒的に表現力の幅があるよね。それ自体を否定してもしょうがない。あと、元々管弦楽のために書かれたものは原則管弦楽で演奏すべきだ。古典になればなるほど、別の編成で演奏することは元の音楽を戯画化することにつながる。もっとも、そういった面も含めて管弦楽の曲を吹奏楽やブラスバンドに編曲してやることに意味を持たせることは可能だ。前も書いたけど、例えば「オケは呼べない/持てないけどブラスバンドなら」みたいな素朴な理由で名曲の抜粋をブラスバンドで演奏するなんてのはイギリスのコンサートにおいては通常営業だよね。無理が出てくる部分が逆にヴィルトゥオーゾのショーケースになったりもする(この辺は悪い面で日本の吹奏楽でも存在するところなんじゃないかと思うけど)。だから、一概に「オケの曲はオケでやるべき」とは思わない。でも、オケの曲が本来表現したかった事自体はまあたいていオケでやらないと意味がない。

じゃあそれ勝ち負けなのって話に戻ると、本来は勝ち負けじゃないけどね。勝ち負けを決めたい人がいる場合ははっきり言ってやる必要はあると思う。吹奏楽は”基本的に”管弦楽に勝てない、ってね。
でもさ、そうじゃなくて、同じ土俵で戦うから管弦楽との勝負になっちゃうでしょ。もし吹奏楽にちゃんと価値を置くのであれば、吹奏楽というフォーマットを十分に活かした、管弦楽ではそうはならんだろという曲を作って演奏するしかない。吹奏楽には弦がいないという特性による弱点があり、それは弦の音色がないだけではなく、音量を出すために同じ楽器や違う楽器の同じ音を重ねなければならないことが多々あることだ。弦はいくら重ねても(上手いことが大前提だが)増幅装置にしかならないんだけど、管って同じ楽器でも音を重ねると音色が荒れるんだよね。作曲家もいろいろ工夫しているけど、その辺を突き詰めていくとオーケストレーションはどんどん薄くなっていくことも多い。その点でいうとデメイが出てきたときの衝撃はここまで述べた特性からすると無理があるはずのオーケストレーションから発せられる音色の整然さだったと思うんだよなあ。

ともあれ、この筆者が言う通り、吹奏楽のオリジナル曲はかなりの割合を「うんまあそれオケでやったほうが良いよね」みたいな曲が占めていることは事実だと思う。そうなんだけど、これもちょっとそうじゃねーんだよ的な部分はある。言い方は悪いけど、俗で素朴な曲ってオケで書いても誰も演奏してくれない。それこそ佐村河内守ばりの「物語」がないと市場として成立しないんだよね。その点においては吹奏楽(やブラスバンド)はその演奏者の人口と志向(ウケる方向性)のおかげか、そういった「今更こんな曲書くの?新規性ww」みたいな評価を受けず素朴に受容されるんだよね。それはそれで、オケ業界ではあまりできないことではある(実のところ、オケにおいてその方向性の曲は映画/ドラマの音楽やゲーム音楽のサントラやオケ編に集約されているのではないかと思っているけど)。

身も蓋もない言い方をすると、「またこのパターン…でも…このメロディーこの対旋律このトロンボーンの和音(すみませんね、ボントロ吹きなもので)…」で気持ちよくなっちゃうんですよ。だがそれがいいしそれでいい。いや、そうじゃなくて、そういうのもあるし、ガチ現代音楽もあるという懐の深い土壌が吹奏楽という世界なんだよね。とはいえ、判で押しすぎちゃってカットしないでコンクールなポリシーの人御用達みたいな作曲家も…(別にカットしないことが曲の芸術性を保証するわけじゃないんだけどなー)

ここまでの話聞いて「で、コンクールだ部活だって話は何なの?」って思う人いる?いるよね。勘がいい人は早死しますよ…

じゃなくてね。「こういうものである」ということにある程度割り切りがあって、それでも楽しんでいる人がそこまで多数派じゃないというのが問題なわけですよね。その最右翼が最も活動人口が多いはずの部活での演奏者、というのが地獄ってことですよね。吹奏楽の指導者にそういった音楽における吹奏楽の立ち位置を俯瞰して、部活が終わっても音楽の愛を持ち続けることのできる指導者がどんだけいるのか、というのは僕もよーわからんのです(何しろそのテの話からは距離がある活動しかしてこなかったから)。ただ、一つ知っていることとしては、楽器上手くて音大に入ったやつが楽器が上手いことしか取り柄がなくて、古典の音楽は知らんわ、楽器をどう演奏してよいか(どう音を出せばいいかは知っている)がさっぱりわからない状態であるってことはよくある。そういうことがそういうことなんだろうなって思うことは多々ありますよ。

コンクールについてはまあね、僕もね、数年前に某有力校が演奏して一斉を風靡した某曲の演奏聞いて「え、トロンボーンソロさん可哀想(ラッパに…)」って思ってそれ金賞なの審査員勉強足りないんじゃ?と思ったりもしましたよ。まあ海外のコンテストとかと違って手元にスコアが配られるとかもないんだろうけどね)。そんなんでなんでその曲やりたいんだって思いますけどね。死んでもトロンボーンが吹くべき(なので、そのあと中学生が吹いてたの見てできてなかったけど良かったって思ったよ)。で、あそことあそこがカットでしょ。そんなの曲の表現したいことぶった切っとるやんというかあの展開がないのにこのフィナーレ意味ないじゃん、とか曲を知っていれば知っているほど「素晴らしいと言われるコンクールの演奏」に殺意が芽生えるわけですよ。聴衆側にそんなことを感じさせるような演奏をさせる指導ってなんなのってやっぱり思っちゃうわけです。もちろんね、演奏そのものについては素晴らしかったりもするんですよ。逆にそれが厄介で、コンクールのあの演奏が良かったみたいなのって、ある意味甲子園であいつすごかったね、ってのと同じレベルの魂に刻まれちゃうなにかだったりするんですよね(僕はその界隈に吹奏楽としてはいなかったけど気持ちはわかる)。だから、そういう純粋に芸術的な観点や損なわれてしまった曲の魅力そのものを理由にコンクールの演奏否定すると「何だこのやろう」ってなっちゃう人たちもいるし、まあそれはそれでわかんなくはないんですよ。

部活そのものに対する問題(拘束時間やらお金の話やら楽器屋との癒着やらなんやら)の話は知りません。語れるほどのことがない。

部活を卒業してなお吹奏楽を続ける人がそれなりにいるのは、ある意味お手軽でかつ色んなジャンルの曲をできるという懐の深さに引かれている人も多いだろうし、その中で一定の芸術性を追求できる余地がちゃんとあるってのも大きいと思うんだよね。だから部活で楽器に触れた人は辛い思い出じゃなくて、また暇になったら楽器をやってみようかなって思ってほしいし、過酷な部活が燃え尽きを起こしちゃってるんだとしたら悲しい。まあ、個人個人が燃え尽きちゃうってのは別に過酷じゃなくてもある話なので、アレなんだが…

うん、とりとめなかったな。これだけじゃなんなので、僕が思うイケてる(≒アブナイ)吹奏楽曲を紹介して終わりにします。

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ヘスケスは吹奏楽(ブラスバンド)ではいわゆる吹奏楽テイスト満載の超高速曲「マスク」で一躍有名になった人ですけど、現代音楽の作曲家であり、ダンスリーズ(パート1はともかく2は…)なんかも吹奏楽の編成である意味を十二分に発揮した名曲ですが、まあこれ。聞けばわかる(とはちょっと言えないか…)。ぶっちゃけスコア読んでも何がどーなってるのかよくわからんかった。

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これはブラスバンド編成の曲。この作曲家はどう考えてもヤバい(褒めてる)人で、まあホームページを見てくれという感じなんだけど、非常に多才な人で音楽のルーツも多岐(ドラムンベースってのがまた良いです)にわたっている。実に良い。こういうぶっ飛んだ曲、オケでもできなくはないけどさ、やっぱりこういう編成が向いてるよね。作曲家のページは以下。
www.simon-dobson.co.uk

吹奏楽におけるポップス(特にジャズ、ラテン)についても別途思うことがあるんだけど、まあそれは別の機会があれば)