novtanの日常

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われわれは反省すべきか、萎縮すべきか、Hagexの遺志を継ぐべきか

これは実質的にHagex氏の追悼エントリです。

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「われわれ」とは主語の大きい話であるが、僕が本件に対して最終的に言いたいことは、「信念に従って生きよ」ということである。信念に基づいた正義はしかし一つに決定することができるたぐいのものではない。だから何が正しいかを決定することにより、社会のあり方が規定され、規制されるような、あるべき姿とは正反対のものになってしまうことを恐れる。正しさとは常に変容するものであり、痛みなしの変容はありえない。痛みを恐れるばかりに無難であり続けることを全員が選ぶことが最も恐ろしい。

正義とは、必ずしも紳士的なものではない。むしろ、暴力的なものだ、と捉える人のほうが多いかもしれない。自分の信念に基づき正しさを提示することは他人の信念と当然ながら対立する。正義とは立場や情勢によって変わる、実に脆弱な概念でしかなくて、正しさはロジカルに担保されない。不正を憎む人と、貧困を憎む人は時として同じ敵を攻撃するが、お互いが敵同士になることもある。どちらも社会を正したい、という信念は変わらないとしても、取り扱う問題が異なることで対立はするのだ。

Hagex氏の抱えている問題意識について大変勝手ながら自分に近しいものだと感じていた。彼は「楽して稼ぐ」人たちや「信者から稼ぐ」みたいな人を揶揄し、否定している、著名人に噛み付く人のように見えていたのではないかと思うし、彼をネットリンチの親玉だとか、ゲスな記事を書く人であるとか、そういった評価をされていることはわかっている。事実関係で言えば、それは正しい。彼が槍玉に挙げた人間を尻馬にのって叩くネット民は多数存在する。僕も同時多発的な批判の一翼を担っていたことは多々ある。もちろん、意識的には「ネットリンチ」ではないのだが、これは当事者意識の問題でもあるので、そうでない、とこちら側からは言い切ることができない。
しかしながら、僕から見た彼の問題意識は直接的な批判を超えたところにあったと思っている。それは、そういった人々に食い物にされている、されかかっている人たちへの警告であり、救いの手としての一つのアプローチだったのではないかと。やり方が正しかったかどうかを評価することは難しいのではないかと思う。しかし、その目的意識に僕は共感を覚えていたのだ。これは詐欺に近い社会的な行動に対する警告であったり、インフルエンサーとされている人間がいたずらに不特定の人間を傷つけることに対するクレームであり、もちろんそれは諸刃の剣であってお前も他人を攻撃しているじゃないか、といわれることは覚悟の上であったと思う。信念に従って生きる、というのはそういうものだろう。一方で、僕は数年前までは主体的に似たようなことを行っていた自覚はあるものの、仕事が忙しくなり、Hagex氏が相変わらず行動的であることをいいことに、尻馬に乗るだけの活動に縮小していたことは否めない。もっともこれには別の理由もあり、高知のトマトの人が僕の後輩いわく「誰々ちゃんの旦那」。もうだめだと思った。リアルの人間関係というのは、重い。40を過ぎ、会社での責任も増え、自分の役割はここではもう大してないのだな、と勝手に整理をしていた。
何れにせよ、Hagex氏が去り、彼の胸の内を明らかにし、照らし合わせる機会を永遠に失ったことは僕にとっては痛恨事であり、彼がリアルで色んな人に会い始めた段階で会うためのアクションを起こさなかったことを今更ながら後悔している。

事が起き、ネットリンチの親玉だとか、ゲスな記事を書く人であるとかそういった評価を「ネットリンチの巣窟」であるところのはてなブックマークで「安全圏から」行う人がいるという事実に僕はひっくり返ったわけで。ええと、強度はともかく、やっていること一緒だよね…荒らしは無視が一番とか、結局の所、自分に累が及ばないことだけが重要であると。仮にそうだとして一番襲われない可能性が高いのは何一つ世間に公表しないこと、だと思うのだ。しかし、強度はともかく、Hagexとその仲間たち(あえてこう言うけど)を批判している人たちが「刺されてもおかしくない」行動を平気でとる心理は僕にはよくわからない。

今回の件ではっきりと自覚したこととして、「PVを上げたくないから2階からブクマ」といういかにも「勢力的」な行動は慎むべきだ、ということがある。はてブにおいて唯一の方法的な「リンチ」に近いのはこれかな、と。今後、僕の発言は「刺される覚悟を持ったもの」になる。いや、みんなもはっきりわかったはずだ。ネットでは何を言っても刺させる可能性がある、ということに。前のエントリで書いたことの繰り返しになるけれども、これはネットに限った話ではない。ネットとリアルの違いは到達性の違いだ。タレントとか、政治家とか、そういった人たちはネット時代より前からそうだった、というだけだ(とはいえ、「オフレコ」の話がこんなにボロボロ出てくるネットの伝達性は怖いと思っているだろうが)。

ネットで発言することのハードルは上がったのだろうか。個人的には変わらないと思っているのだけれど、はてブをなくすべきとか、そういった意見が出てくる背景にはコミュニケーションにおける構造的な問題が指摘されているようにも思える。でも、僕自身はそこで諦める必要はないと考えている。健全性などクソくらえだ。我々にとって大事なことはただ冷静であることだし、きちんと間違いを撤回することができることだ。

我々は萎縮すべきではないし、Hagex氏の遺志を継ぐべきだろう。少なくとも、僕自身は自分が正しいと信じたことに遠慮することはやめる。刺される覚悟というのは何も特別なことではなくて、ウェブで発言をするときの基本動作に過ぎない。もちろんそれは過激な発言をするという宣言ではないし、私怨から他人を攻撃するということでもない。ただ、自分の信念に従った結果として別の信念と衝突することは避け得ない。

今回のことで何かを書くことを減らそう、と考えている人はもう一度考え直してほしい。では、今まで書いてきたことはまったくもって世に発信する必要がないものだったのだろうか。もし少しでもそうではないと思うのであれば、この事件をもって何かをやめるなんてことには全く意味がない。少なくとも僕は書くことをやめることはないし、今回の事件で変わるものがあるとしたら、Hagex氏が成し遂げられなかったことに少しでも近づくために、もう少し真面目に書こうと決意したことだけだ。もっとも、僕一人の力だけでは彼に遠く及ばない。だから、他のみんなにも書くことをやめてほしくないのだ。