novtanの日常

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コストと利便性

菊池雅志 on Twitter: "日本「Suicaまたはクレカを取り出す」「ピッ」(クレカでサインやパスワードが不要なことも多い)→おしまい。

中国「スマホを取り出す」「画面ロックを解除」「アプリ起動」「QRコード読み取り」「金額を打ち込む」「客の通信費で決済」「店員に見せる」

なんで不便な方向に変えるの?馬鹿なの?"

このあと客側の利便性の話をしているんだクソリプ送るなって言っているんだけど、いや、こういう提示の仕方しておいてそりゃちょっとね、とは思う。だってこの話って「すでに敷設済みのインフラが便利」って話じゃないからなんだよね。
そりゃ(大半の)コンビニにおいてSuicaで払えます、というのは事実としてはあるのですが、なんで多少既存のインフラより手数が増えても新しいインフラが求められているのか、ということに目を向けず、「なんで不便にするの?バカなの?」と言われましてもね、というのが大方の感想だろう。

すごく単純に考えても「インフラのコストを誰が負担するのか」という問題があるのはわかるし、そのコストがユーザーの求めているサービスに直接紐付いているのか、というと必ずしもそうではない。もっというと、時間を短縮するということがユーザーのニーズなのか、という話でもあるよね。イノベーションだ何だ言っているけど、全体最適を考えた場合、多少時間かかる手段でもそちらの仕組みを採用したほうがサービスが手厚くなるかもしれない。あるいは店員の時給が上がるかもしれない。割引サービスも増えるかもしれない。最後のやつなんて別の意味でユーザーの利益につながっているわけじゃん。

今のサービスで十分、というのは金よりも時間が大事だったり、今行く店だけで使えれば十分だったり、とかそういう条件でしかないし、もっと低コストで導入できるものが事実上スタンダードになった場合にコンビニで使えないのは「不便」って評価になるよね。ユーザーの利便性ってのは今の支払いアクションが簡単だ、ということだけでは決定できない問題じゃない。

QRコード決済なんてのは正直過渡期の産物で、低コストかつNFCで済むものにしていきたいし、一方で銀行から直引き落としなんてなったらやっぱり確認のステップは複数必要になるだろうし、チャージしとけば現金と同じ(一方でなくしても現金と同じ)みたいな電子マネーとはそもそもの発想が違うし別物として考えるべきだしそういったことを社会に合わせてどう考えていくのかがイノベーションに繋がるわけだし確かに猿真似してもしょうがないのはそうなんだけど、中国でなぜそれが流行ったか、という背景の部分を見ていくと日本でも一定量のニーズが有ることは予見されるし、まあちょっと軽く「バカなの?」って言ってしまうには値しない重たい問題ではあると思うんですよ。

いやね、僕だってそりゃ「バカなの?」って思いますよ、個人の感想としては。個人の感想レベルの意見でしかないからこそ「クソリプ」がたくさん来るわけであって、つまり覚悟の上で言えよこんなことは、と思いますねえ。

そもそもそれはバイトテロなのか

バイトテロ雑感 - ←ズイショ→
むしろ「バカッター」が少ないことに驚く - シロクマの屑籠
厳しすぎる職業倫理が「バイトテロ」を生む

「バイトテロ」って言葉自体が問題の本質をほっぽってる言葉のように思えるね。「バカッター」も同様ね。どちらも、それに当てはまる概念や実態はあるんだけど、それが類似事象の全てを包括しているのか、という疑問がある。

で。

バイトテロというとじゃあ何に対するテロなの?低賃金に対する怒りなの?それとも理不尽な客に対する怒りなの?それともテロではなくて単なるおふざけなの?
これどれも全然別の話だよね。特におふざけなのであれば、じゃあそのおふざけはウェブで開陳するに値するものなの?誰に伝えたかったの?単なるバカなの?という話だし。4軸取ると、「実害がある⇔実害がない」「真剣である⇔真剣でない」にマッピングできそうだよね。現実の問題としては、それを「公開するかしないか」という問題もある。よく、「xxのバイトをしたら客としては二度と行きたくなくなる」という話はあって、これはウェブ時代より前から言われていることなので、バカッターともテロとも関係なく、ちょっと問題あるんじゃ?的な行為は昔から行われているわけですよ。待遇の話ではないし、ぶっちゃけ「客が腹壊さなければよい」のである。
さて、実害があってふざけている、というのが最悪パターンなんだけど、これ自体はバイトテロではなく単なるバカだし、それをTwitterで公開するのは単なるバカッターだよね。都会で生活していると驚くほどバカに遭遇するし、そうじゃなくてもちょっとやりすぎなおふざけをかます人はたくさんいるわけよ。いわんや学生をや。んで、おふざけに輪をかけてしまう最悪ツールがSNSなわけじゃないですか。ちょっと自制心のある人達は流石におふざけが「悪いこと」だと自覚があるのでSNSで共有したりはしない(が、人目のあるところやった結果晒されるおバカはいる)。
実害があることを真剣にやっている、のがバイトテロなんだろうけど、テロである以上主張がないといかんよね。あいつ死ねでもなんでもいいんだけど、そういうの、実際には見たことないです。なのでこの話のオチとしては世の中バカがたくさんいるよね-という単純な話でしかないと思うし、雇う側の力量だけで解決することは実際には難しいし、会社が損害賠償を求める、というのは単純な部分での抑止力にはなると思うけど、本質的にはそういうバカをやると仲間内での地位が底辺に落ちるような関係性が必要なのではないかな、と思いますがバカの間ではこの手の話は英雄的行為になりやすいという問題もあるのでウェブ時代っぽくないけどご近所コミュニティーがなんとかする問題なような気がします。

いずれにしても、この手の話はもともとローカルの問題としてはずっと昔から存在していて、ウェブに上げるバカは始末に負えない、というだけなので、ウェブに上げたことのペナルティが損害賠償、というのは仕方がないと思いますし、本人ではない人たちがバカをウェブに晒すのはローカルで問題が解決できない際の最終手段的にしてほしいな、と思ったりもしますし、そういう意味では世の中のトラブルを解決しようという試みなしにいきなりウェブに上げるという行為も本来自重すべきことだし、それを元に他者が糾弾行為に走る、というのもあまりよろしいことではないですよね。

バカに理由を教えるな

最も効率の良い社会運営のためには「バカには理由を教えないで強制する」というのが最適だと思う。

www.buzzfeed.com

もちろん、そのことは国民の当然の権利である色々なものを侵害しているのでやって良いことではない。そこにつけ込んで悪辣な主張をする人がいると、「善意のバカ」が世の中の混乱を煽ることになる。今までこの手の話が問題になりづらかったのは、悪辣な主張をする(=それで一儲け企むやつ)が狭い範囲の活動で済んでいたのにインターネットによって広くあまねくバカを騙したほうが儲かるように変わってきたから。つまり、この問題はプラットフォームの問題でもあり、Googleを始めとした検索エンジンの提供者や広告ネットワークが社会に対して公正を装いつつ、利用者の責任や知る権利などどいう言い訳でネットの汚染を許してきた上にそいつらに小遣いを与えてきたことに帰結する問題だ。

この手の話は実際のところもうちょっとコントロールできるはずで、現にYoutube等で公序良俗に反することでアクセスを集めることは次第に難しくなってきている。ウェブ業界及びその監督省庁においてはウェブでの情報発信でお金を発生させることに対してもう少し規制を厳しくすべきだと思うし、悪辣な情報を発信したことにもう少し報いを与えることができるはずだ。

でも、官憲の手に委ねすぎると自由な情報発信そのものが制約されかねない。いや、そういう意味では少なくとも今のウェブはそういった立場での自由、すなわち無責任な情報発信をするプラットフォームとしての役割は終えてしまったのかもしれない。これから先、もう少し細かい形での「場の管理」というものが行われても不思議ではないと思っている。

で、今回の話だけど、伝え方がまずい、というのは確かにあるかもしれないけど、そこが論点になるってのは情報を受け取る側の敗北なんだよなーとは思う。つまり、教育の敗北に近いけど。もし、本当にそこが問題なのであれば、冒頭の話の通り「情報を遮断した上で強制する」のが最適になってしまう。まあ、色んな意味で平和ボケしている世界の民(この問題は当然だけど日本以外でも発生しているのだ)においては、今みんなを守っている社会インフラが崩壊したらより一層ひどい目にあうことを体験するしか考え直すすべがないのかもしれない。経験に勝る理解はない。といいつつ、あんなに悲惨な地震を体験したのに改善されていないところも多々あるけどね。

情報が正しければ理解できる、というのは理解する側が理解するためのロジックを持っていることが前提になっている。そもそも間違った情報を元に、人を騙すことを目的で喋っているやつとは土俵が違うのだよ。そこで言い方だけを問題にしてしまうと本質を見失うと思う。これは別にきちんと情報を受け取れない側が「悪い」ということを言っているのではないんだけど、きちんと理解させることを一番大事なこととしてしまう(つまり、言い方の問題に終止させる)と、最後には理解力マウンティングに行き着くしかない。この話は言い方の問題というのは二次的な話に過ぎないんだ。難しいのは円満な解決を目指すとどうしても理解力の問題は出てきてしまうし、教育や貧困、ブラック企業で働くことでのリソース不足(時間な)などの問題も巻き込んで解決する問題にしかならない。だから、円満でない解決が現実的、という風になり、社会のレベルが一つ落ちる。陰謀論とか言っている奴らは自分たちが社会のレベルを落とそうとしているのでないとしたらお前らこそ言い方に気をつけろよ、と言いたくもなる。

でも、実際に言い方の問題でしなくていい衝突をしていることは確かにあるよね。それは本質ではないが、コミュニケーションの助けになる話ではあるんだよ。

なお、僕だってこういう場ではこんな感じに書いているけど、身近に間違った判断をしそうになった人がいたときにこんな風な話で押し通すってことはない。コミュニケーションってのは場によっても変わらざるを得ない、ということも色んな人がもう少し意識しても良いんだと思っている。