最も効率の良い社会運営のためには「バカには理由を教えないで強制する」というのが最適だと思う。
もちろん、そのことは国民の当然の権利である色々なものを侵害しているのでやって良いことではない。そこにつけ込んで悪辣な主張をする人がいると、「善意のバカ」が世の中の混乱を煽ることになる。今までこの手の話が問題になりづらかったのは、悪辣な主張をする(=それで一儲け企むやつ)が狭い範囲の活動で済んでいたのにインターネットによって広くあまねくバカを騙したほうが儲かるように変わってきたから。つまり、この問題はプラットフォームの問題でもあり、Googleを始めとした検索エンジンの提供者や広告ネットワークが社会に対して公正を装いつつ、利用者の責任や知る権利などどいう言い訳でネットの汚染を許してきた上にそいつらに小遣いを与えてきたことに帰結する問題だ。
この手の話は実際のところもうちょっとコントロールできるはずで、現にYoutube等で公序良俗に反することでアクセスを集めることは次第に難しくなってきている。ウェブ業界及びその監督省庁においてはウェブでの情報発信でお金を発生させることに対してもう少し規制を厳しくすべきだと思うし、悪辣な情報を発信したことにもう少し報いを与えることができるはずだ。
でも、官憲の手に委ねすぎると自由な情報発信そのものが制約されかねない。いや、そういう意味では少なくとも今のウェブはそういった立場での自由、すなわち無責任な情報発信をするプラットフォームとしての役割は終えてしまったのかもしれない。これから先、もう少し細かい形での「場の管理」というものが行われても不思議ではないと思っている。
で、今回の話だけど、伝え方がまずい、というのは確かにあるかもしれないけど、そこが論点になるってのは情報を受け取る側の敗北なんだよなーとは思う。つまり、教育の敗北に近いけど。もし、本当にそこが問題なのであれば、冒頭の話の通り「情報を遮断した上で強制する」のが最適になってしまう。まあ、色んな意味で平和ボケしている世界の民(この問題は当然だけど日本以外でも発生しているのだ)においては、今みんなを守っている社会インフラが崩壊したらより一層ひどい目にあうことを体験するしか考え直すすべがないのかもしれない。経験に勝る理解はない。といいつつ、あんなに悲惨な地震を体験したのに改善されていないところも多々あるけどね。
情報が正しければ理解できる、というのは理解する側が理解するためのロジックを持っていることが前提になっている。そもそも間違った情報を元に、人を騙すことを目的で喋っているやつとは土俵が違うのだよ。そこで言い方だけを問題にしてしまうと本質を見失うと思う。これは別にきちんと情報を受け取れない側が「悪い」ということを言っているのではないんだけど、きちんと理解させることを一番大事なこととしてしまう(つまり、言い方の問題に終止させる)と、最後には理解力マウンティングに行き着くしかない。この話は言い方の問題というのは二次的な話に過ぎないんだ。難しいのは円満な解決を目指すとどうしても理解力の問題は出てきてしまうし、教育や貧困、ブラック企業で働くことでのリソース不足(時間な)などの問題も巻き込んで解決する問題にしかならない。だから、円満でない解決が現実的、という風になり、社会のレベルが一つ落ちる。陰謀論とか言っている奴らは自分たちが社会のレベルを落とそうとしているのでないとしたらお前らこそ言い方に気をつけろよ、と言いたくもなる。
でも、実際に言い方の問題でしなくていい衝突をしていることは確かにあるよね。それは本質ではないが、コミュニケーションの助けになる話ではあるんだよ。
なお、僕だってこういう場ではこんな感じに書いているけど、身近に間違った判断をしそうになった人がいたときにこんな風な話で押し通すってことはない。コミュニケーションってのは場によっても変わらざるを得ない、ということも色んな人がもう少し意識しても良いんだと思っている。