novtanの日常

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2次創作同人と商業インディーズの狭間で

同人というのは商業化をしていないことを意味するわけではないよね。元々は同人会員向けの活動をする、というものだったとは思うけど、太古の昔から同人外にも頒布(というよりは販売)されてきた歴史はあるし、完全に閉じる必要はない。当然だけど、1次創作については権利関係の問題は一切発生しないから、活動に制約はないよね。
一方で、2次創作同人ってのは「仲間内でやっているだけだから」あまり杓子行儀なこと言わないでやらせてよ、的な面で活動してきたこともあるから、ある意味「同人誌即売会での頒布+個人の通販」でしか頒布しないよ、がその建前を守るための一つの手段だったわけよね。
とらのあなで委託販売が始まったりとかでだいぶ前から色々建前崩れたところもあるけど、やっぱり決定的なのは「儲かる(利益を出すことを一つの目的にしている)」+「インターネットで普通に買える」の2点がデカいよねえ。堂々と売って利益も出て一次の権利者になんも還元されない、となるとやっぱりね。もはや2次創作商業インディーズでしかなくなっちゃったエリアはあると思うし、だとしたら仁義は切るべきだよね、と思うんだけど、許可が得られないであろう創作もたくさんあると考えると、なんだかなあってなる。

これって作る側もあれなんだけど、買う側の問題もあって、なぜか定期的に「広く遍く流通すべき」みたいな話が出てくるよね。そりゃ確かに欲しい物は欲しいだろうけどね、そういうものじゃないって割り切れないものだろうか。まあ、昔と違って「ある」ことが明確なものについて入手したいという気持ちが強くなるのは仕方ない気がする。

こうやって文化が変容してくる中で、権利関係の衝突が起きるのはもう避け得ない状況だけど、そもそも2次創作って作る側のウエイトが大きそうな文化であって、読み手の果たす役割は(お金の話を抜きにしたら)大きくないよなあ、って考えると、なんのために2次創作したいんだけってところに立ち戻らないと最終的には商業的な理由で決定的な問題が起きそうではあるよね。

女性服ポケットない問題

男性服にポケットが多いのは、多少おしゃれな要素を犠牲にしても実用性を得るためであり、実際にはそのポケット使ったらおしゃれとしては台無し、というデザインのためのポケットがあったりもする、という事実はまず認識しておくべきだよね。

つまり、男性服が便利なのは男性がまあまあ無頓着に「このポケットに入れちゃえ」ってやるからであり、まあまあダサいことになってることも多いよね。普遍的な話としては、「シルエットを重視する場合、ポケットの用途は厳密にすべき」である。スーツの胸ポケットってチーフ差すための場所だよねって話ね。

まあ、僕なんかはファッションには無頓着なのでジャケットのポケットになんでも放り込んじゃうんだけど。

だから、女性服におけるポケット問題というのは、そういう無頓着さが女性服としてふさわしくない、という認識によって引き起こされている自体だとも言えるよね。そもそも実用的なポケットを実用的な強度で実装するとデザインは大きく制約を受けるはずだから、まあその辺の工夫をどうするかが腕の見せ所なのかもしれないけど、想像される結果としては無骨さをゲットすることになるだろう。男性服のデザインにおける無骨さというのはある種のメリットになりうるけど、女性服はね、ということだよね。

むろん、この「女性服はね」というのは偏見そのものではあるんだけど、そのこと自体は女性自身も含めたおしゃれということへのコンセンサスから生まれた部分もあるのでそのあたりを上手くリセットするなり変えていかないとポケットついてこないですよね。

でもさ、元来この「実用的な要素を排除したファッション」ってのはある種の開放運動みたいなものじゃないですか。割烹着みたいなのにでっかいポケットついてたりしてもなんの違和感もないし、何はいっててもいいよねって感じするよね。そうするとさ、今なぜポケットついた服が求められているかというのにもなんとなく答えがあって、そういう(家庭のものも含めた)労働や抑圧からの開放としてのファッションという軸とは別に、男性の(広義の意味での)作業着であるスーツの実用性に匹敵するだけの、社会進出した女性の作業着としてのファッション(ポケット付き)が必要になってきている、ということなんじゃなかろうかと。

実際には男性のスーツもポケットを実用とする場合はダサさとのトレードオフがどうしてもあるし、もっとガチな作業着に振り切ればそのあたりは気にならなくなるよね。カジュアルなファッションにおいてもその方程式はある程度通用しちゃう。女性服のポケットがどのくらい実用とデザインを両立できるかってのは着る側の意識がどこまでダサさを許容できるか、という問題にやっぱりなるんじゃないかな。

政治家に対する暴力は今後増えるかもしれないよ

この話はどうしても個々人の立ち位置や解釈によって結論が異なる話になっちゃうとは思うんだけどね。
なので、個人の見解です、とは言っておくけど。

民主主義国家であるところの日本が民主主義国家であることを証明するためには政治家が民主主義国家として行政・司法・立法がきちんと機能している、ということを証明し続けなければならないよね。不正や反社との関係性を疑われたときに説明責任があるのは民主主義国家のルールに従った国民の代表である、ということを証明するための唯一の手段だからであって、「選挙で当選しているから不正がないことを認められている」ワケではないんだよ。むしろ、選挙で他の人に投票した人に対しての責任を果たしている、ということになる。
ましてや、それが選挙の票集めに関わる話であればなおさら、「民主主義とは単なる多数決ではない」という原理原則的なところの確認としても必要になるよね。

まあ、そういう問題が明らかになって責任を取るってのが一律辞任ってのもおかしな話だとは思うけど、一方で辞任すべきという結論に達した場合はちゃんと辞任しないといかんと思うわけよ。
そこを明らかにした結果、納得の行く形で幕を引くことは大事。これは必ずしも「全員が満足する結果」にはならないのはしょうがないけど、正しい手続き(当然検証可能なもの。黒塗りの書類を出してハイ責任果たしました、なんてのが本来問題外なわけ)を踏んだ結果として結論付けられたものであれば、一旦は納得するべきだし、次の選挙で云々、という話にちゃんと乗っかると思う。

じゃあそれをお答えできませんとか記憶にございませんとかで「じゃあしょうがないですね。本件終わり!」ってやり続けるとどうなるかってことですよ。黒塗り書類も含めて。これは責任を果たしていると言えるのか?責任を果たしてないのに国民の代表ヅラして治安の良さに守られている、という存在の出来上がりですね。そりゃ治安悪くなったら狙われるよね。

これで治安をよくするために国民の権利を制限し始めたらそれこそテロの出番になると思うけどさ、単に一人ひとりの政治家が責任を果たさないことに抗議するようなことはテロですらないよね。現在の社内のルールを捻じ曲げたいんじゃなくて、ちゃんとやれって言ってるだけなんだからさ。

不正に対するペナルティが政治家側は緩すぎるし、官僚側は隠すインセンティブがある程度にはキツすぎるんじゃないかなあ、とかも思うよね。