novtanの日常

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佐村河内問題とエンタメ音楽の世界と吹奏楽

クラシック音楽界隈からのコメントがひとしきり出揃った感。

非常に大きな話として「よく出来てるけど現代作曲家のお約束として書けない」的な部分についての言及が多いですよね。

これってホントなの?というところを考えてみたい。

音楽って世界を常にポップス的な観点で捉えると、ベートーヴェン以降の音楽というのは基本的には新しすぎて(従来の観客層に)理解されない(現代音楽)→大衆音楽化(ヒット)→過去の遺産(古典)というサイクルをたどっている部分が大きいですね。
過去の遺産というのは「演奏を楽しむ」というという点では現代のものよりもはるかにエンタメ的消費がなされている音楽ですよね。時代を経て脱落していった音楽も多々ありますけれども。

その点を考えると、吹奏楽の世界が一番カオスなのではないかと思うんですよね。もっとも様々な手法の音楽が混在していて、恥ずかしげもなく「ありがち」な曲が生まれるという意味で。

これにはいくつかの理由があると思います。

教育フォーマットであることを多分に含有している吹奏楽の世界ではそもそも無理があるよねー的なオケ曲の編曲もあればポップスの(ダサかったりダサくなかったりする)アレンジもあればオリジナル曲もあります。オリジナル曲も現代音楽の系譜に連なるものもあれば古典的なフォーマットを吹奏楽として再構築したようなものもあれば、映画音楽的なものもあります。
何しろアマチュア演奏者主体の活動になるため耳触りのいいものが好まれる傾向が強いです。

演奏者の立場からすると色々思うところもありますが、作曲者に対する評価は概ね「これ前もあったね」という部分は排除されることが多いです。マンネリ作曲家にとってのパラダイスかもね。でもモーツアルトだって(ry

というわけで、「あーまたXXさんフレーズ来たよー、でも悔しい…気持ちいい…」という曲がたくさんある一方で「中高生に人気のあの作曲家の曲って屑だよねぶっちゃけ…」という評価も生まれる世界です。ザッツ・エンタテイメントですな。

なんでこれをオーケストラの世界でなかなか出来ないのか。それは「リソースが限られているから」なのではないかと思うのです。アマチュアオケもたくさんあるにはありますけど、吹奏楽団に比べたら段違いに少ないし、プロはプロで過去の名曲や芸術的に「新しくて意味がある」と思われる曲の演奏に追われています。新しい「エンタメ」な曲を演奏してもらうにはよっぽどのことがないといけません。なので映画音楽なんてのは現代作曲家の修行と鬱憤ばらしの場であった時代もあったでしょう。

今回の件って、結局のところいい曲書いたところでそれにまつわる感動ストーリーが無いと演奏しても貰えないという演奏者側の事情を象徴しているんでしょうね。

なので、このような「書きたい?けど書けない」問題はアマチュアオケのエンタメ化が促進されれば解決される問題なのではないかと思いますが、残念ながらアマチュアほど一度はやりたい過去の名曲が死ぬまでの予定を専有していたりしますw

聞き手にとっても音楽ってたくさんありすぎて、どっかで聴いたことのあるような音楽はお腹いっぱいなんですよね。

その辺りが「書いても評価されないというか意味ないよねー」という現状につながっているわけなので、この問題を機に「新規性のないいい曲」を作曲家がのべつ幕なしに書くようになるかというと全然そうはならないと思います。

別にこれが芸術の歪みというわけではなくて、どっちかというとエンタメ枠のリソース問題でしかないというのは重要です。ラッセンが悪いわけじゃないけどラッセンの絵が絵画に金を出す気のある人のお財布を消費し尽くすのはもったいない的なね。