新聞、雑誌という既存メディアが持っている「選ばれた情報を垂れ流す」という機能をニュースアプリ(あるいはキュレーション)というネットの機能性が代替できているかというと、そもそも本質的に機能が異なるので難しいというのを常々思っています。
ここで触れられている、ニュースの生産者としてのメディアとニュースの流通者としてのIT企業という見方はもちろん正しくて、流通を握られている生産者がジリ貧になっているという現状はよろしくない。
ただ、ニュースアプリもトピック(タイトル)を垂れ流す以上の機能はなく、結局のところユーザーの取捨選択に任せているという点ではウェブサイトのニュースと何ら変わらないのですよ。
重要なのは、どういう手段をとってもウェブというアーキテクチャに縛られている以上、1記事1ページ(以上)というプレゼンテーションをユーザーが明示的に選択して表示しなければならないということです。これにPVという評価軸で価値を与えてしまうというのはどういうことかというと、「ドラマで誰々が出ている瞬間だけ視聴率が上がる」ことに価値を最大限に与えることに近いと思うんですよね。
ウェブにおいて本質的な価値を測り始めたのはGoogleのPagerankだったと思うんだけど、商業化が進み、ページの揮発性が高くなり、瞬間最大風速に価値を与えることになったのもGoogleではあると思うし、Googleのシンプルさがその別々の2つを同じインタフェース(つまり、Google検索)にまとめてしまったことが混乱を招いているのだと思う。
ニュースという存在はそもそも揮発性の高いものであって、本来はすべてがPublishであるウェブとは相性が良くない。揮発性が高いことには利点もあるからなおさらウェブにニュースを掲載することには刹那的な価値を最大化することを目的としがちであるし、それならニュースってなんなんだっけ?
つまり、ウェブに残るべき「良い記事」とはニュースじゃないんだよね。
「揮発性の高い、価値の高いニュースの集合」というのはウェブにおいては存在しづらいし、そもそも意味が無いように思えます。そこに意味をもたせるのであれば、1ページ1記事というアーキテクチャを変えていかなければならないし、その点で紙の新聞を超えるキラーアプリは出ていない。
良い記事を発信したいという目的をかなえるのであれば、ニュースという枠を諦めるか、アーキテクチャを変えていくことを目指すかのどちらかじゃないとダメなんだと思うんだよね。