novtanの日常

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いつまで我々は視覚依存デバイスの進化を見続けなければならないのだろうか

新しいiPhoneの発表で、事前にリークされていたとはいえグロテスクなカメラの素晴らしさが強調されると、「またか」という気分になる。スマホはもはや10年前のPCでは足元にも及ばないくらいの性能を持ちながら、より良く(良く、というのは決して現実をリアルに捉える、という意味ではない)写真を撮影することに血道を上げていて、AIは写真を修正するために最も性能を発揮するのだ。
ハードウェアボタンはまったくもってユニバーサルデザインのかけらも存在しないタッチパネルに完全に取って代わられ、数少ないボタンであったホームボタンもなくなって久しい。3D Touchも廃止された。成功したとは言えない機能ではあったが数少ない「時間トリガー以外のタッチ操作」も失われたわけだ。

タッチパネルというデバイスの、見えているところに触ればいい、というI/Fは「直感的」と言われるけれども、直感的である、ということはそれ以上の奥行きがない操作だ、ということに他ならない。それどころか、他のハードウェアキーがなくなったことによって、その直感も限定的になっている(失われていると言っても良い)。タッチパネルのジェスチャー的な操作はいくら慣れがあるとはいえ、「失敗」するのだ。iOSのアプリ切り替えのために下から上へのフリックを「タスク一覧が出るまで」のちょうどいい塩梅で実施できなくて苛ついたことはみんなあるのではないか。ボタンの時代は、失敗することは殆どなかった。ましてや、パネルが大きくなるたびに感覚で得た距離感は失われていく。かくして、またしても視覚的効果に依存しなくてはならない。テンキーとカーソルキーと決定キーだったころ、我々はある程度画面など見ずに操作ができたのではないか?スマホは入力デバイスの簡略化を繰り返した挙げ句、I/Fとしては完全に後退している。

あれほどまでに未来を感じさせたはずのスマホはもうUIという点では見るべきところはなにもない。人類を終わりなき腱鞘炎へと導くだけの装置だ。これだけ性能が上がったのに、結局の所タッチパネルが大きくなりました&きれいな写真が撮れます、以上のなんの進歩もない。電池がヘタったら替え時の消耗品である。