何年かに一回周期で流行るネタだと思いますが、「こと」とか「という」を使わない、とか、なんとかかんとか。
まずね、僕たちはなんのためにこうやって文章を書いているのか、冗長な言葉を使い、何を表現しようとしているのか、そういったことを抜きにしてこの手のテクニックを語るのって全く意味がないと僕は思っている(と、テクニックに反しまくった文章を書いて見るテスト)。マニュアルを書いているんだっけ?それとも報告書?論文?顛末書かもしれないし始末書かもしれない。しかし、言葉の微妙なニュアンスの違いでめちゃくちゃ怒られる世界の文章を書いているのでなければ、あなたは自由だ。
読みやすい文章というのはリズムの良い文章のことだと僕はずっと思っているんだけれども(そもそも、「だけれども」なんて常に「だが」で良いよねシンプルに書くなら。ではなぜこのような言葉が存在しているのだろうか)、自分がそのような文章を書けているかというとそうでもない。ふわっとした結論や曖昧なロジックを書くことだってよくある。何かを訴えたいときに少なからず根拠が必要と思いつつも強固なものを組み上げるのが面倒だからそうなってしまうときもある。昔はそうでもなかった気がするけれども歳をとって細かいことがめんどくさくなってくるとどうしてもエモい部分が優先的に出てきてしまうんだよね。そうすると文章ってのはどうしても修辞的なあの手この手を駆使して同じ内容を繰り返すようなものになりがちだし、現にそうなっているかなとは思っている。
と、10分程度でこのくらいの文章を書くにあたってもあちこちいらない言葉を削ったり、文章を置き換えたり、矛盾したロジックを取り払ったりしているのだよ。そうやって残したこの文章が誰に対しても誇れるよい文章であるなんて到底言えないけど、小手先のテクニックを駆使して読みやすくした文章よりは僕の個が表出された文章である自覚はあるし、何かを書き残すというのはそういうものなんだと思って20年近くこうやって書いている。