novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

ジャーナリズムとは問題への熱い想いから生まれるのではないのかな

マンガを表現手段として軽く見ている人であれば「たかがマンガ」となってしまうかもしれませんが、ノンフィクション映画がそうである通り、映像的な表現が人に訴えかける力を考えるとマンガにおける社会への問題提起はジャーナリズム精神の表れであり、それに伴う前提を無視してはならない、と僕は思うんですよね。それはマンガの力を重大なものだと考えていることでもあります。

もちろん、マンガは単純な娯楽であっても良いものです。マンガであろうが他の表現手段であろうが、ジャーナリズム足るかどうかはそこにそうした想いがあるかどうかにかかってきます。そして、想いがあるのであれば、それがジャーナリズムの道から外れないことを自覚し、あるいは忠告されながら頑張って成立させていくべきものでしょう。

週刊ビッグコミックスピリッツ「美味しんぼ」 : 日々ゆうこう

少なくとも、この編集部が行った質問を見る限り、編集部には社会問題を扱う素地はないように思えます。

少し前に話題になって、連載も行った、聾唖といじめについてのマンガがありましたけどね、あれを扱うときのマガジン編集部はもうちょっと慎重だったように思うんですよ。

でたらめな告発で社会を混乱させる事こそエンターテイメントの仕事である、と思わないとこんな話を両論併記でドヤ顔できるわきゃないと僕なんかは思ってしまいますが、それ以前のレベルで単に売れればいいやという匂いをも感じてしまいますよね。

表現の自由を盾にとって今回の問題を擁護するのが嫌なのは、「それ、本当にそうやって表現すべきという心の底の衝動から来たものなの?」って思ってしまうからなんですね。間違った(あるいは証拠が足りない)情報を信じてしまった作者の思いはあるとしても、表現の自由の守護者であるべき出版社と編集部がそれを正せないのであれば、表現の自由は単なる暴言の自由に堕してしまう。

もちろん、作者の危惧するところが100%デタラメというわけでもないのですから、そこをノンフィクションのお作法できっちり道をつけることが編集部の役割なんじゃないかと思います。そこでクオリティーを担保できないならノンフィクションを気取るなって話ですね。