わかりやすい話としては、公文書を偽造したら捕まった、は表現の自由の侵害だ、とは誰も言わないよね。
いわゆる表現の自由はあくまで(他の法律に触れるという一部の例外を除いて)その表現そのものは政府によって検閲されない、という話だし、結果引き起こす問題についての責任は表現者が負うものだということ。
インターネットのなかった頃のそれの大半は出版社が引き受けるもので、つまり、出版社が実質的に検閲している(言葉狩り、なんてのは特にそうだよね)わけだけど、それは結果として起こる事象が経営の問題になるからであって、それを無視してアレする写真週刊誌があったりとかいうのがまあ闘争みたいなものだよね。とにかく、個人の影響力が少なかったからこそメディアや作家の影響力が相対的に大きく、大抵はモラルによって統制されていたけどたまに突拍子もない事が起きる、という世界。で、インモラルな出版社や一部の人達がクソみたいなウソ本を量産しているわけだ。
インターネットによって個人の発信力が強まるとそういった統制って当然されなくなるから「表現の自由」について正義の御旗みたいな扱いがなされちゃったりするけど、そこにも結果の責任は残る。ヘイトスピーチしたら会社クビになりました、というがその因果関係を端的に示しているやつだよね。
インターネットにかぎらず、メディアがウソを発信することに対するペナルティーが少なすぎるってのが現在の問題なんだよね。ただ、そこを単に強めてしまう(特に政府が関与する)と実質検閲に近い形に制限されてくるという問題もあるから、慎重に考えることが大事だし、結局のところ受け手のリテラシーを高めることをしないと社会としては進化しないんだけどね(啓蒙を思い上がりの言葉だと言っているような話って停滞感あるよね)。