novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

愚行権は「バカなことをやる自由」ではないんだよね

愚行権ってさ、ある種の自己責任論で、他人を巻き込まない限り不幸な結果になる可能性を知ってなおそのことを行う自由のことであって。

愚行を認めよう、奇特を認めよう、そうやって生まれた数奇な出来事に感動しよう。あるいは「世の中には馬鹿な奴がいるなぁ」と思いっきり笑おう。そうすればネット社会はもっと豊かになれる。

愚行権の行使が認められるネット社会をつくろうぜ! - はてな村定点観測所

奇特を認めるとか、数奇な出来事に感動するってのは愚行権の有無とは全然関係ないことなんじゃないの?別にさ、死ぬのわかってて嵐の中で断崖絶壁から飛び込み動画撮影するのはいいんだぜ?。ただ、捜索に出た人が巻き込まれて死ぬことも十分に考えられるような場合、それを愚行権が保証していると見なすのは無理ではある。

周りを巻き込むかどうかにかかわらず、これは当然のことなんだけど、愚行権が愚行を保証している代わりに愚行を行ったことによる非難や不利益を引き受けることは当人の責任になるわけ。愚行をして非難されないとか愚行じゃないじゃんってな。

人は全て等しく愚かである。だから愚かな過ちを行ってしまうことがある。その中でも刑事罰に至らないような行為は愚行権の行使として尊重したほうがいいのではないか。

人は愚かなままでいるべき、社会は愚かなままであるべき、というのであればそのとおりだろうね。そういう国家の樹立を目指すことは(それ自体が愚行であると僕は評価するけど)良いんじゃないでしょうか。日本でやんないで、とも思うけど、まあ政府がぐk(以下検閲されました

私達はソーシャルメディアを通じて毎日全国や全世界の馬鹿を発見しては、イナゴのように食い散らかして消費する。彼らの愚行権の行使を尊重しようとする態度が見られない。

これってさ、「愚行を認めよう、奇特を認めよう、そうやって生まれた数奇な出来事に感動しよう。」となんか違うの?

真面目な話、愚行とは「いつか売れることを目指して才能もないのに小説家を目指し続ける」みたいなことを指しているんだと思うんだよね。他人は「こいつ馬鹿だ…」って思うけど本人は至って真面目なような。アイスケースに入るような、本人もバカだと思っているような悪ふざけを愚行権云々の話にしてしまうのは真の愚行(本人は真面目)に失礼とも言える。

人は失敗から学ぶ生き物ではあるけれども、歌舞伎町でアタリを引くためにハズレを引き続けることを笑えるのはそういう人生を送らない人がたくさんいるからであって、某師みたいなバカをやる人が少ないから某師は食えるのであって、そういう人達のお陰でバカなことを「やらせてもらえている」ことを無視して愚行権を認めるべきって主張するのって、人間って歌舞伎町では成長しないことの証明か何かなのかなって思ってしまいます。