novtanの日常

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素直な気持ちと差別の紙一重

はてなブックマーク - 熊谷市長による男性保育士に関する議論。保護者の男性保育士を自分の娘に担当させるなと言う要求は正当なのか? - Togetterまとめ

ここで「気持ちの問題」と言っている人とは理性的な会話は出来ないんじゃないかと思ってしまう。

もちろん、この問題は「ちょっと抵抗あるよね」な話である一方で、僕らはその感情を遠ざけるのが差別を解消する唯一の手段と知っているはずなんだよね。だから、正論であることを認めながら、気持ちの問題がそれを肯定しきれない、という人はともかく、「そうじゃねえんだよ気持ちの問題なんだよ」って言っている人は、社会的あるいは倫理的に選択をしなければならない局面で感情に左右される選択を是とするということと理解してしまう。

一方で、これは単純な差別の問題でもないんだよね。確かにここで行われているのはある種の差別であることは間違いないし、差別的な発言も散見される。ただ、これが差別をしたいと思っている内心から来ているかというと全くそうではない。というか、カジュアルな差別のうちの半分くらいは「安心したい」だけであり(もっともその安心にはほぼ根拠がないのだが)、残りの半分の殆どは理解=同化という勘違いにあるだけなんだと思っている(これは飲み屋のおっさんの話のときにした気がする)。だからこの話を「差別主義者」という問題に落とし込んでしまうと全く話は解決しない。

安心したい、に対してもっとも低コストな対応方法は「理解可能」なものを提示することだ。つまり、保育なら母親と似通っているもの、隣人なら自分に似通っているもの、店員なら…。男性保育士が不利な点は、世の大半の父親が母親と当価値の役割を果たしえていないという事実にあるのかもしれないけどね。もちろん、この安心はニセの安心である。女性保育士が独身未婚女性であることも多い(というかかなりの割合がそうだろう)わけで、むしろ保育士という専門職である点に安心すべきであるし、保育園の体制(例えば、ひとりで仕事しない)に置くほうがよっぽど合理的なんだよね。そこで合理的な基準ではなく、感情的に「女性だから安心」と短絡できるのはまあなんだかあれで。

裸を触る云々の部分は特にこの問題の難しい部分を象徴していて、大きな話として完全にこの問題から人類が開放されることはないんだろうなあと思ってはいるけど、この件だけに絞ると単純な話、「男性保育士がたくさんいる」世の中になれば勝手に解消するんだろう。