そもそも、疫学自体も理解が難しい人がいるというのが現実だということに今更ながら気づきました。
と言っても、理屈が理解できないという話ではないと思っているんですよね。その理屈で導き出せる結果がリスク評価である、ということが受け入れられない、というだけなのではないかと。
つまり、確率の問題から脱却するための答えがあることを頑なに信じている人においては、疫学で導き出せた答えは答えではないんですよね。じゃあなぜ君たちは空気を吸って水を飲むのか、と思うこともあるんですが、この点は経験上問題ないという根拠のない事実を更に根拠なくこれは問題があるこれは問題がないと区別しているんですよね多分。で、そこの判断基準というか間隔が共有できないことが相互理解を阻害しているのかなと。
例えばガンであることは常にわかったほうがよい、という命題が無条件で正しくなる世界観においては過剰診断の概念は実に理解しがたいのでしょう。この世界観は常に「知りうるべきことを知るのが人間としての十分条件」という命題が成立していて、知ることが行動を変え、結果に影響することは重要ではないんですよね。ただ、本当にこの世界観が完全であれば、知ることは結果に影響を与えません。なぜなら結果についても常に知ることができるからです。しかし、なぜ今科学が万物理論を持っていないのにその世界観が採用しうるのか。それもちょっと違うか。実際にはそこまでの世界観があるわけではなく、単に「知ることで正しい選択ができる」と思っているだけですね。本当に正しい選択ができるのであれば、過剰診断のリスクは診断そのもののリスクと近いものでしかない一方で医療費の問題は解決しないわけですが。