例のバリアフリー問題の「どっちが悪い」話については僕はあんまりあーだこーだいいたくない。ああいった行動が「良い」ものなのかどうかはいろんな意見があるべきだし、いろんな議論をすべきだと思う。その中で本質的な問題とか、現実的な問題とかがあぶり出されることが世の中を変えていくわけ。たまにこういう話を特定の機関(政党含む)が担いで強硬な主張を行うことがあるけど、それは逆効果な場合が多い。政治はこういった問題については変に思想信条ではなく現実の問題を解決する部分だけをバトンタッチして行動してもらいたいものです。
で、タイトルの件。
そもそも、日本の中でも全国津々浦々の距離が時間的に縮まったのはごくごく最近のことで、コストも格段に下がってきている。大昔はそれこそ命がけで移動をしていたところから考えると、(ある意味命がけなのは変わらないにしても)僕たちはかなり自由に移動できるようになっている。しかし、移動にはコストがかかることは変わらない。コストはテクノロジーの進化とビジネスが合致したタイミングで下がっていく。コストには当然距離的なものと時間的なものの両方がある。僕の子供の頃飛行機は滅多なことでは乗れるものではなかった(初めて乗ったのは爺さんが危篤になったときだ)。
その頃に比べたら飛行機は安くなったし、新幹線は早くなってたくさんできた。
その一方で、過疎化が進んだ田舎では公共交通が「移動の制限」を積極的に行っているわけ。
大きい視点から見ると、このバリアフリー問題は移動コストの問題だし、テクノロジーとビジネス(採算と言ってもいい)がまだ噛み合ってない部分の問題なんだよね。単純化して考えると、この問題をLCCが設備を増強してどうにかする代わりに、人間側に車椅子が必要ない状態になる(歩行ユニットが装着できたりして)方が安上がりって時代が来るかもしれないんだぜ。
そもそも、障害者に限らず、移動が自由にできない人は未だに多い。金の問題もあれば、時間の問題もあれば、気力体力の問題もある。気力体力が整っている人が障害者として今回みたいな行動を起こすのは良いことだと個人的には思うのだけど、その結果がどこに帰結するかは重要で、別の誰かの移動の自由を制限するような結果になるんだとしたら、世の中あまり幸せになっていないよなあ、って思っちゃうわけですな。