novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

内心の自由なるもの

公言することは内心じゃないんだけど、それを「俺がそう思うことは自由だー」ってウェブで叫ぶ人の気持はわからん。

かといって、その内心は徹底的に隠し通さなきゃいけないものかと言うと、そうでもなくて、そういう内心を持っている、だけどTPOを弁えてしかそれを公表はしないし、その内心が反社会的な側面を含んでいたらそれを実行することはない、というのが大半の人間の倫理だと思うわけだ。じゃあTPOってなんなのって言ったらそりゃ差別への抗弁であったり、あらぬ疑いをかけられたときの弁護だったり、そういうことだよね。レイプ願望あって誰でもいいからレイプしてーと実名で叫んでるやつがいたらそれは忌避されるべきだし、下手すりゃ防衛行動の的になるだろうけど、近所で小学生が誘拐されて怪しいと目をつけられてロリ趣味の性癖を暴露されてお前犯人だろと言われて抗弁するために内心を暴露する、とかは悪いのか?悪くないよな?

でも、現実の問題として、ウェブには本気か嘘かわからないようなことを平気で発言する匿名…下手すりゃ実名…のバカはいるし、そういうバカが「これは内心だから!実際にはやらないから!」って言ったところで周りの不安が解消されるわけではない。内心の自由の敵は周囲の不安なわけだ。あいつ何考えているかわからない、という不安を払拭するために内心をすべて暴露するというのはそれはそれでおかしな話ではあるから、結局の所処世術に長けてない人間が内心の自由を必要とする秘密を抱えるというのは非常に不安定な人間を形作ってしまうのかもしれない。

この話は、コミュニティーと人間関係の話だ。本質的な話として、内心の自由はそのコミュニティーの平和を守るためではなく、国家権力が思想統制を行うことや、内心を理由に罪を着せる(でっち上げすらできる)ことに抗弁するためにあると言ってよいだろう。なので、内心の自由を過度に主張した結果、コミュニティーから爪弾きにされたとしてもそれは社会という機能からするとなんの不思議もない。これは端的に言うと差別ではあるし、(いわれなき)恐怖による排除であるけれども、つまるところ、コミュニケーションの問題であり、依然として社会はコミュニケーション不全に厳しく、かつ、その強弱は極めて恣意的に決定されている(突き詰めて言うとそれが倫理なのかもしれないが…)。

シンプルな話として、ウェブは内心を暴露する場として向いてません。そういうこと。