日本にはかつて(今もいると思うけど絶滅危惧種かな?)窓際族という人たちがいました。何もせず、給料だけ貰う。出世コースから外れて鬱屈しているパターンもあれば、仕事をしなくて金をもらえて嬉しいってい人もいたよね。
これ言うと批判されそうだけど、働きたくない人は生産性の観点からだけ見ると「いない方がマシ」だったりするから、ベーシックインカム等で最低限の収入保障して働きたくない人には無理に働かせないのが全体の生産性が一番良くなるような気がします。客先常駐にはいない方がマシな人がたくさんいる。
— 米村歩@日本一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) 2017年7月10日
んでさ、問題は最低限の保障だけして「無理に働かせない」なんだよな。つまり、この思想は「無能は最低限の収入だけしかやんなくていいんじゃね?」とほぼ同義である。働きたくない人には、と言っているけど、「いないほうがマシ」という言葉に「いなくなってくれ」というニュアンスしか感じないよね。これだけでもこのツイートは批判されるべきだとぼくは思うんだよな。穏健な選民思想に近いと思ってしまう。
なお、このことは、別にそれでもいいやと思う人がいることとは矛盾しない。
ベーシックインカムって別に無能を社会で飼うための仕組みじゃないんだよ。もちろん、無能が社会に出たかったらBI貰いながらスキルアップせよってことなのかもしれないけど、ぶっちゃけ社会のスキルは社会にいないと身につかないんだよ。
で、いないほうがマシ、という話自体はもちろん正しい。(ある現場にとって)生産性がマイナスな人間というのはいるのだ。客先常駐の現場にももちろんそういう人はたくさんいて、いてもいなくてもなんとかなる仕事をしていたりする。これ実質会社によるBIみたいなものじゃね?良かったね(給料がそれなりに出ているので)。
そういう意味では、実は日本の社会はその点で後退しているとすら思う。ようは、効率化だ雇用の流動化だなんだかんだ言って「いないほうがマシ」な人を働かさせざるを得ない、ということね。無能は窓際、で良くないのかしら。原始的な社会保障みたいなものだよね。
というような話をするのも傲慢と言えば傲慢。でも、そういう人たちに対してもどうにかしてバリューをつけて仕事をしてもらおう、と頑張っている人もいるわけだからね。保障が最低限ってのがとにかくこの話とかみ合わせ悪いんだよな。