novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

議論の仕方のおさらい的な何か

博物館スケッチ話をトリガーにちょっと考えてるんだけど、なぜあの話がネガティブな反応を多く集めたかっていうと結局の所「スケッチするのは(場合によっては)迷惑」と考える人が多かったんだろうと思った。この(場合によっては)は案外バラバラなことを言っている気はしている。でも、ある程度「迷惑をかけてはいけない」はコンセンサスな感じは受けた。でも、どうしようもなく邪魔になる場合はあるだろうけど、それ以外の場合、みんな多少なりともそういうの許容すべきってのが大きな流れだと思っていたので、ちょっと意外だったんだよね。救急車のサイレンが迷惑だ、みたいな話、どう思ってるんだろう。

ただ、一方で思うのは、エントリのネチッとした書きっぷりが「気に食わない」のではないだろうか、ということ。でも、それで書かれている内容の評価そのものを変えちゃダメだろお気持ち表明か?ってなるよね。趣旨には合意だが、お前の書き方が気に食わない、とコメントすべきなんじゃないかなそういうのは。

って考えると、みんな案外「言い方が悪い」に敏感なんだと思うんだよね。でも(たとえば)政治の話になると急に「言い方が悪いという批判は正当ではない」とか言い出すよね。

で、こういうのをあっさり「党派性」という言葉とかで片付けちゃうのも最近流行っているような気がする。昔話をすると、だいたいこの手の話でそういうことをすると「レッテルを貼ってる」と言われて卑怯な論者扱いされたものだけど、今は党派性を発揮する方も、それを批判する方も、とにかく安直な手段に走りがちだと思っていて。まあ、Twitterの文字数が悪い(レッテル貼り)。

お気持ちであれ、政治的スタンスであれ、一人ひとりが考えていることはどうしても差異があるものだし、人間なんだから全員が統一された理屈をもつ必要もないし、折り合いをつけていくことの連続が社会のコンセンサスを作っていくものだ、というのが僕が考えているありようだけど、その点から言うと、「似たような考え」の差異の部分をよく見極めないで似ている部分だけで同調していくことってとても怖いことだと思うし、リアルな関係性だったら遠からず破綻する。ネットの関係性はそこをごまかせる要素が強いからこそ、近いところで団結しないといけないってなっちゃうのかもしれないけど、それは一人ひとりがどういう人格であるかを軽視していることでもあるし、ちょっと前ならブログの過去現在をピックアップすればその人のバックグラウンドや考え方の変遷がわかったものだけど、SNSではそういうことはほぼわからない。ネットにオピニオンを発信するのであれば、最低限ブログのような形で思考や歴史を積み上げていくことが望ましいと思っているけど、そういうのも古い感覚なんだろうか。