novtanの日常

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「公の感覚」は必要だと思うけどさ

この話だけど。

「公の感覚」をめぐる議論(「キズナアイ」騒動などからの派生) - Togetter

以降、「的なもの」というのは理解が曖昧なことについて使っているので間違ってたらごめん。

まあ、「公」ってのは極言すれば「法律」なんだと思うんだよね。もちろん、その上に憲法があって、それが担保する世界もあるんだけど、それを絶対正義にしてしまうと公の空間というものは実質的に成立しなくなる(ようは、単なる自由にアクセス可能な私的空間のつながりにしかならない)ので、原則レベルではそうだと思う。なので、といいつつ、もう少し上位(だったらいいなあ)の概念としてのモラルみたいなものも当然あるよね。ただそれは誰かのお気持ちにより担保されるものではなく、ハーバーマス的な正当性の議論なくして成立し得ないのかなあとは思う。
問題は、実際の「公共圏」的なものは実はローカルではひとしきりの根拠を持っていて、それがウェブの中で文化的な衝突として表面化しているところなんだと思う。例えば出羽守だってその一つに過ぎないと思う。誰かがこう言っているから、を無条件で受け入れるのはそういった空間の無批判な合併であり、相手のいうところの本質をきちんと飲み込んでない限り、実はくっつけてはいない(ので、実態としては部分集合になっていしまっていて、そのことによる不利益は実は結構デカイと思う)。
ウェブで議論をするにしたって本来は「このサイトにおけるルール」からスタートしているはずだし、古典的なウェブにおいてはそのとおりに機能していた部分はあったと思う。Twitter(SNS)が議論に向かない、と未だに思っているのは、その点において機能する場でないからだ。

だからこの話は社会というよりはコミュニティーのルールの話だと思っているんだけど(依然として社会そのもののルールは法律が主だ)、それにしても、それが設置されている場はローカルコミュニティーじゃなくてインターネットという開かれた(≒公共性のある)場である、ということは忘れてはならないと思う。これは、「だからルールをリアル社会と全く同じにすべき」と言っているわけではなく、そういった場であることを忘れず、あり方を考えていこう、という話だ。

僕がちょいちょいウェブで発言することを「publishだ」と書いているのはそういう意識によるものではある。

8年前にこんなこと書いてるけど、根本的にはあまり変わってないな。
ウェブがコミュニケーションツールであるとの誤解がtwitterによって加速する - novtan別館

この話、換言するとこれかも。
「あなたはXX人の人に見物されています」 - novtan別館