novtanの日常

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キレイなパワハラ問題

昔は「愛のムチ」という言葉は普通だったけどね。「アメとムチ」ってのもね。

目的の正しさによって手段も正当化される、というのは価値観としてはだいぶ古いものだと思うけど、実のところ、目的そのものが時代によってシフトしてきている中で手段の正当性が揺らいでいるという側面が大きくなっているんだと思う。

つまり、目的の中に社会的な正しさがより含まれるようになっている。だから手段を選ばないと目的が達成されない、ということになる。でも、その含まれるようになった部分に目をつむっている人が多い結果として、旧態然としたパワハラ、ブラック労働、体罰や虐待が浮き彫りになる。これらって昔は「そういうもんだからしょうがないだろ」で見過ごされてきた部分だ。

この手の手段ってのは目的のためのショートカットに近い。違う言い方をすると、例えば躾にしても何にしても、「体に覚えさす」ということへのアメとムチの効果はあると思う(と言ってもこのあたりの学習効果についてはいろんな研究があって否定的な面も多々ある…というあたりも最新の知見として一般的になっているとは言えない)。

もっとも、社会が目指している一人ひとりの「人間」を大事にするようなものって言うのは社会の構造そのものと相反する部分はあって、非合理性を(結果的に)求める人間性という問題は解決されない。

キレイなパワハラをする人を現実主義者、それを糾弾する人を理想主義者、と考えるのは乱暴ではあるんだけど、実際の社会は確かにその2つが交わるグレーゾーンの中にあるし、パワハラをしないギリギリの線で社会と折り合いをつけている人や人間の違いは理想的な部分だけにとどまらないことを理解してなお理想に近づけたいと努力している人と、パワハラの指摘しときゃいいって人、指摘を無視しときゃいいって人の間には大きな溝があるんだよねえ。