例えば、殺人願望(これ願望って言うけど本当にやりたい、ということではないのがほとんどだよね。だから戦争ゲームとかの疑似体験で満足したりする)を持っている人が「隣に住んでる3才児を殺したくてたまんねー!!」と叫んだらそりゃ通報されますよね。それだけの話だと思うんですよ。突如流行りだした「社会的責任」という言葉を、責任を求める側も、求められる側も、自分の考える最大限の枠に広げて解釈しているから喧嘩になる。実際にはどっちの側の人もいやそこまでじゃないよねって考えている人もいるけど、最前線で喧嘩している人たちはそりゃMAXで戦ってるからおかしいんだよね。
こういう言葉が意味する詳細な内容が合意されていないものをベースに論争をするのって非常にバカらしいけど、逆に言うと、言葉の定義を作っていくための議論に昇華できるのであればもっとやってほしいんだよね。でも、それはたいていうまく行かない。最前線の人ほど自分の解釈を認めさせることに固執しがちだから。だったら最初からこんな汎用的な解釈のできる言葉を使って戦うべきじゃないんだと思う。今回の場合は、「社会的責任」を負わされそうになっている側がこの言葉に乗っからないようにしたほうが良い。そんなに重たい言葉じゃないはずなのに、認められるべき自由より重いことを載せようとしているからね。