novtanの日常

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オンラインカジノに手を出す原因をパチンコを違法という人のせいにする増田はちょっとおちついて

言い方を改めた点については評価しています。が、職業差別という意味合いでは、そもそもほとんどの人が「パチンコの存在は違法とは言えない」までは合意しているので、あんまりその観点で主張しても合意は得られないんじゃないかと思うよ。

anond.hatelabo.jp

さて、コメントにお返事いただいたので。

しかしながら、そこには明確に法律で定められた根拠があるだけで、おっしゃるようなギャップや脱法スキームが存在しているということには一才同意しかねます。

こうして法律で定められた根拠に対し、それを脱法スキームだと決めつけることは法治国家の否定であり民主主義の否定です。

こういう派手な物言いをしてもあんまり共感が増えるということはないと思うのです。
まず、僕(含め結構な人)が、「ギャップ」と言っているのは増田も認識している「概念として賭博である」と「法的には賭博ではない」にギャップが有るという厳然たる事実のことです。増田のロジックはわからんでもない。「法律として賭博として定義されたものが法律としての賭博である」ってことだよね。じゃあなんで「法的には賭博ではない」ものが「概念(と言っているけどこれは概念のだけ話ではなく実態の話でもあることは理解しているよね?)としては賭博」として存在しうるんでしょうか。
日本においては賭博は基本的には禁止(刑法185条)であり、増田も認識している通り、「一時の娯楽に供するものを賭けた場合」と一部の公営ギャンブルのみが許容されていますよね。それが基本的な法であるがゆえに、風営法で定めるパチンコ営業においては「遊戯である」ということが再三強調されています(これはパチンコ業界自体が表向きにはそうアナウンスしていますよね)。なので、違法かどうかの判断にはまず「一時の娯楽に供するものを賭けた場合」に該当するかどうかが重要な基準になるということもわかると思います(公営ギャンブルじゃない以上、違法性を棄却する根拠はそこにしか無い)。
増田にも記憶があるかもしれませんが、一時期流行った金スロが摘発された際、当初は「無許可改造」などを含めた風営法違反で摘発されていましたが、そこに賭博罪も適用されることになりました。ここは推測混じりではありますが、ここでの換金スキームは三店方式で、それが故に当初は「これは違法ではないのでは」という見解も多数見られ、実際に摘発されるまでの期間も相当ありました。しかし、結局は賭博罪となった、ということは三店方式自体が直ちに適法となるわけではない、ということを示唆しています(風営法違反とのセット物であるかもしれないので断言はできない)。

こういった背景なども考えたときに、増田の言うところの

しかしながら、そこには明確に法律で定められた根拠があるだけで、おっしゃるようなギャップや脱法スキームが存在しているということには一才同意しかねます。

ということはそれほど自明な考え方であるといえるでしょうか。僕はそうは考えていません。おそらくギャップが有るということに合意しているみなさんも同じ考えだと思っています。

さて、さらにそれを踏まえると、果たして「一時の娯楽に供するものを賭けた場合」とは一体どこまでが許容範囲なのでしょうか。増田は「パチンコが賭博であることは合意」していますが、そうだとしたら、賭博の中でやり取りされる景品が「一時の娯楽に供するもの」であるという認識だということでしょうか?だとしたら我々(と言っちゃうけど)の考えている「賭博」と増田の考えている「賭博」のレベル感が異なっている可能性はあります。「せいぜい負けても1日あたり数万(更に酷くても30万くらいが限度)」のものは賭博だと言っても「一時の娯楽に供するもの」がやり取りされる程度のものである、という認識なのであればここまでの話が噛み合わないことは腑に落ちます。超個人的な見解ですが、例えば1スロが存在するとして、それを賭博として取り締まる必要があるかというと、正直ないんじゃないかなと思ったりもしますし。

増田の考える賭博はそれで良いんでしょうか?もしそうじゃなくて「毎日のように通って負け続けて人生終了」するかもしれないようなものこそが賭博だよね、と考えているのであれば、みんながギャップが有ると思っている理由もわからんでもないのではないでしょうか。それだと「一時の娯楽に供するもの」の域を超えていますよね。
もう少し別の観点でいうと、ここで脱法スキームという表現になってしまう理由の一つが「一時の娯楽に供するもの」という建前を守るために取り扱う景品の上限額が決められているのに、その上限は「1個あたり」という運用しかされておらず、実質的に無限だからです。これが「1日の提供商品の上限」だったら誰も脱法スキームなんて言わないと思いますよ。

もちろん、「脱法」言葉が違法と同義であるなんて言ってない、ということなんて増田もわかっていると思います。その上で、「脱法」という言葉を使う意図として、その行為にネガティブなニュアンスを与えられていることが気に食わない、法律に照らして考えると何も悪いことなんて無い、というのがおそらく増田の言い分であり、その事自体はわからんわけではありません。だがしかしですね、上記の実態を考えたときに、ネガティブなニュアンスで考える人が多いってのは変なことではないんじゃないでしょうか。

以上を踏まえ、

ぱちんこは脱法ではなく紛れも無い合法であり、それを脱法だと叫ぶ行為そのものが法律の恣意的解釈

というご意見に関しては、僕の意見としては明確に「否」と言っておきたいと思います。まず、前段の「紛れもなく合法」については異論ありません。ただ、合法だからといって法の定めるところの主旨に沿っているとは必ずしもいい難く、その事をもって「脱法」と述べています。これは法律の恣意的な解釈ではなく、社会的な含意に基づく方式に対する評価です(ただし、あくまで個人的意見です。ここで重要なのは、脱法と指摘をすること自体は職業差別でもなければ事実誤認に基づくものではない、ということです)。

最後に、もう一つ付け加えておきますが、個人的には先にも述べた通り、「一時の娯楽に供するもの」が適正に援用されるのであれば、それが現金に直接換金できることを許容するほうがまだフェアなんじゃないか、と思っています。これも暗黙のルールだと思いますが、そもそも麻雀店(仲間内も含む)において、しばしば摘発されることはありつつも、現金が飛び交うことは黙認されている状態です。もっというと、店を徹マンに場を提供することも黙認されていますよね。それに比べたらどうかという点もあるわけです。
一方で、本当に現金を提供する事になった場合、当然ながら機器についての規制は今より厳しくなることが予想されます。ここ最近はほとんどないと思いますが、元々は機械の改造、計数の不正などがしばしば行われている中で、業界スキーム自体が潰されなかったのはあくまで遊戯が建前だからであって、賭博を可能としてしまうとそういった不正は撲滅を求められるだろうし(これは公営カジノ問題などでもしばしば論点になっているはず)、そうするとメーカーもホールも立ち行かなくなるだろうことは自明です(と言っちゃったけど推測の域は超えないかな…)
なので、現状のパチンコという形態を維持するのであれば、良くも悪くもこの脱法スキームを維持せざるを得ないと思いますし、そこを合法と騒ぐよりはグレーのままでそっとしておくのが良いんじゃないでしょうか。

元々、本件は「オンラインカジノに手を出す人が出たのはパチンコが違法だけど捕まらないという喧伝をする人がいたせいだ」という増田の意見が発端だったと思いますが、増田も言うとおり「オンラインカジノは違法」ですし、「パチンコは合法」ですし、「賭博じゃないのになぜか換金できる」ことも確かですよね。もしちょっと賢い人であれば仮にパチンコは本当は違法、という認識でいた場合に「パチンコが違法で捕まらないのなら、オンラインカジノも大丈夫」なのではなく「パチンコは違法だけど捕まらない…これは闇があるはず…他の違法なギャンブルは捕まるかもしれないな…」と考えるほうがしっくり来ます。つまり、パチンコが大丈夫だからオンラインカジノも大丈夫だろう、というのはパチンコの実質的違法性を声高に叫ぶ人のせいではなく、「違法って言われているけど大丈夫だろう」という考え方でオンラインカジノに手を出してしまうような誤った思考が引き起こすもので、1回だけなら大丈夫、で薬物をやってしまう人と大きく変わらないと思っています。

お返事へのお返事(簡単に)

書かれている内容については特に異論ありません。こういった話は立場や思想で意見が異なるのは当然で、法解釈にしても常に一致を見るものではありませんので、ちゃんと議論ができる、というのは非常に重要です。ブログ黎明期はこの手の話はトラバの応酬で議論したものですけどね…

そして、増田の問題意識として「業界に対する差別意識」に対する部分が大きい、ということもわかりました。これについては僕自身も(実際に社会においてどの程度差別意識があるかどうかはわかりませんが)、同意できるポイントかと思っています。僕自身は身を持ち崩さない範囲でパチンコなどで楽しむことはなんら悪いことではなく(かつてはパチンコで遊ぶのは朝鮮に金を持っていかれる非国民なんて話もありましたが、大概ですよね…)、単にギャンブル性で言えば無制限に金を突っ込める公営ギャンブルの方がよっぽどひどく、とはいえ、昔は反社との繋がりが多かったというのもあり、そこのイメージが払拭しきれていない(これは業界の問題だけとは言えず、昔のイメージだけで語っている人が多いせい)ため、ここは増田としては正したいポイントなのでしょう。そもそもスマホゲーのガチャなども健全性でいれば大概だと思っていますし、一方でそれを楽しんでいる人を愚かで下等である、というつもりは全くありませんし、それと同じですよね。
個人的には脱法という言葉を撤回しないのはそうは言っても、遊技(こっちが正しいですね)から換金までを合法なものとして実現できてない、という事実を端的に述べているつもりだから、ではありますが、一方で脱法という言葉を使う人に増田の言う差別意識がないとは言えないでしょう。僕個人としてもここまでこれだけ言っておきながら、なんとなく自分自身がパチンコ屋で遊ぶことは後ろ暗さがある、という気分は否定しきれません。僕は競馬をやらないですが、競馬をやっている人の一部が「好きな馬を買っているだけでギャンブルをしているつもりはない」なんて言ってしまう心理もそういったものでしょうし。

このお返事はかなりお気持ち部分が大きいと思うので、ご笑覧いただければ幸い。