novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

不快をどこまで村長…いや尊重すべきか

タイトルは釣り…じゃなくて変換ミス…IMEの思うがままに書くと素性がバレるという噂…

例の携帯電話と電車の件ね。

ちょっと「快・不快みたいな「個人の好き嫌いレベルの理由」で、他人の行動を束縛しようという発想は、もはやただの暴力だと思う。」なる文言を見かけて気になったわけですよ。いやね、字面で言うと正しいところはあると思うんですよ。僕も「さすがにそれを不快で片付けるのはないだろー」と思うことがたくさんあるんですよね。
ただね、例えば見なきゃいいものとか聞かなきゃいいものと違って公共の場というのはそれなりに行動って束縛されるわけですよ。酔っぱらいがゲロ吐いても俺に掛からなきゃ束縛される必要はないとか…まあ実際汚すのは器物損壊かもしれんけどさ…
だから、マナーってのは次第にコンセンサスを得ながら変容していくものであって、「快・不快を理由にしない」ってのはちょっと違う。電車の中で携帯電話でしゃべっているという行為そのものの不快感が減衰してきた現状においてもまだマナーとして有効なのはそろそろおかしいんじゃない?という問いかけであればわかるんだけど、それを一足飛びで「快・不快による制限は無意味」に敷衍させるのって端的に言って思慮不足な言葉としか思えないんですよね。こういうのは個別具体論であって初めて意味があるんだと思っている。

自分が酔っぱらいで連れたってかえって声がでかい時があることを踏まえて(反省しつつ)いうと、無駄に大声じゃなければ電話してもいいんじゃないでしょうか、というのが今の答えで、逆に言うと「無駄に大声でしゃべっている奴(自分含め)」は携帯電話だろうが隣にいる人だろうがちょっとマナー違反だよな、と言うのが僕の電車内での会話(音漏れの騒音とかも含めて)についての結論です。

つまり、不快を必ずしも許容するわけではない。