novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

気持ちを表明することと、社会の難しさと

人間誰しも自分の好きなものを批判されたくないし、自分の嫌いなものを目に入らなくしたり批判したりしたいわけですね。

おばけを怖がる人に云々というのは類型的なストーリーとして(現実においても)よくあるものですけど、それってパワハラだよねー、というのはさておき、誰かが嫌だから、という単純な理由で社会的に抹殺するということは現代の民主主義国家においては基本的には起こってはならないことですよね。仮に規制されるような場合も強く公衆の利益に寄与することが求められると思っています(これは公共の場にふさわしいとかそういう概念とは違うという認識でもあります)。

とはいえ、嫌なものは嫌、傷ついたら傷ついたって言いたいよね、というのはとても良くわかるし、積極的に目に入らなくて済むように世の中なんとかならないものか、と考えることはおかしなことではないし、世界平和のためには良いことですよね。

世の中そんなにうまくいかないのは、誰かが好きなものは誰かが嫌いだし、誰かが嫌いなものを誰かが好きなんだよねってことで。

だから、気持ちを表明することはそれ自体が攻撃的に捉えられることもあるし、実際攻撃だったりもするよね。快、不快ってのが難しいのはそれが絶対的な基準にはなりえないことだから。「私はそう思う」の表明ってのは仲間内ならともかく、インターネットでやると全世界への表明になってしまうというのもイメージしづらいことだと思う。

単に思うを表明するのではなく、社会を変えていきたいと思っているのであれば、それはもっと難しいことだよね。嫌だから規制せよ、というのはダメというのは先に述べたとおりなので、それを規制することが如何に公共の福祉に叶うか、ということを説明する必要わけで、それなりの覚悟がいりますよね。

そこまでではない、気持ちの共有について、もう少しハードルの低い場所があるといいのかもしれないとは思っています。現代の問題ってのはみんなが使っているものが全て「広くつながる」形になっているのが問題なんだよなあ。未だに「インターネットは人類には早すぎた」から先に進めていないのではないでしょうか。