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novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

自己責任の「自己」がどこまで拡張されるか問題

アレな主張をしたら自宅に火炎瓶が投げ込まれました。その被害を家族が被ったとしたらそれは自業自得といえるでしょうか。

って問題があったら結構な人が少しは悩みながら答えを出すんじゃないかと思う。

正直なところ、自業自得という言葉自体が無限の可能性を秘めていて、究極的には生まれてきてごめんなさいなところまで拡張できるだろうし、もっというと人類が意識を持ってしまってスミマセン、なのかもしれないんだけどさ。

自業自得論ってのはそういう点で本質的に危うさをもっているんですよね。ところが主張する人はそこに「正義か否か」を見出したがる。あるいは「オレが納得できるかどうか」を基準にしたがる。

危険地帯に自己責任を主張してわざわざ入り込んで遭難して救出を求める人をみたとき僕たちはどう思うだろうか。これもみんな結構悩む命題だとは思う。

当然だけど、「オレを批判したら家族が苦痛を感じるからオレのことを批判してはならない」なんていう人がいたら僕たちは大概ノータイムで「クソが死ね」と感じるわけだけど、それはそれで、「家族が苦しむのはお前が批判されるようなことをしている結果だ」というロジックを適用しているわけなので、冷静に考えるとやっぱりどこかに線引きがあるんだろうなあとは思うわけです。ありていに言ってしまえば、ざまあみろで溜飲を下げられる出来事のレベルに依存しているだろうし、それのレベル感覚は人によって異なるわけで、火炎瓶がまあ上手く機能して全焼した焼け跡から遺体がみたいになると大抵の人はそりゃ犯罪だろってなるにも関わらず、火炎瓶は不発だったがそれがきっかけで一家離散とかになってもそりゃ仕方ないよなそのレベルのことしたからなって感じる人はそれなりにいるだろうなというあたり、命は大事だがそれ以上は知った事か、というところに一つ基準があるようには思うんだよね。そういう直接的な被害じゃなくても実家で親が肩身の狭い思いをしたりとかさ。

でね、社会のこういう機能ってのは実はある種の暴走を防ぐための機能としてそれなりに役に立ってきたんだと思う。だからこの話も換言すればウェブとその台頭による既存メディアの低劣化の弊害の一つなんだと思うんだよな。ウェブなかりせばああいった立場で発言できなかったであろうバカが自己の影響力と責任範囲を自覚できないままバカな発言をするというのは地獄絵図ではあるけど、それがギリギリ限度いっぱいまで批判されるという事自体は原理主義的な意味で正しいかどうかはさておき、社会が機能させてきたものがウェブでも同等に機能しているという点においてはそうなって然るべき状況にはなっているんだよな、とは思う。