Mastodonしかり、ブロックチェーンしかり、とにかくウェブの技術は情報伝達の仕組みであり、その情報の「正しさ」の保証の技術である、といってよいかと思う。ここで言う正しさってのは内容の正しさではなく、伝達の正しさね。誰が、何を、という。
この件で言うとやはりWinny(それ以前であればWinMX)の話が出てきてしまって最近は完全に忘れ去られているけど、Napsterの衝撃はその場に居合わせた人はわかると思う。その衝撃は主に「え、影でコソコソやってたことを表に出しちゃっていいんだ」だったけど。そして結局ダメだったけど。そこからWinnyに至るまで、P2Pの最大の問題は、P2Pであることだったよね。P2Pってのはネットワークの技術以前の話として現実のメタファーとしての「友達同士のやり取り」を極大化したものだから、性善説、フェアユースの枠の中でしか機能しない。実際問題、プラットフォームとしてのP2Pが正常に動作しているシステムは、そのメタファーをアプリケーション的には採用していないことがほとんどだろう。つまり、アプリケーションはビジネスモデルが明確化されていて、それに則って「ルールが有る」のだ。
MastodonがP2Pを活発化させる?本当にそうだろうか。Mastodonがこの1週間で明らかにしたのは「ルールがない世界は接続されない」ということではなかっただろうか。オープンなアングラ世界(これも変な言い方だが)がルールの整備によって滅びたあと、世界が選択したのはTorでありSilkloadであり、闇決済手段としてのBitcoinだったのではないか。Mastodonは表のWebのルールを逸脱できない。あるいは、かつてのBBS並にローカライズされた運用になるだろう。そんなもの、本来はGoogleのサークルで良かったのでは?あるいはSlackがすでに実現しているのでは?
Mastodonにはいいところもあるし、うまくハマった用途においては既存のツールを凌駕するかもしれない。でも、それがマジョリティである世界は僕には想像できないし、P2Pってのは最終的にはインフラになって成立するものだから、マジョリティにならない限りは次第に滅びる運命のものだよね。
Webは中央集権的にならざるを得ない仕組みを最初から持っていて、P2Pはあくまでアプリケーションレイヤの自由しか持っていない。Winnyが問題化したときに起きたのはプロトコルの遮断だし、我々が危険を察知したときに行うのはLANケーブルの切断(あるいはWifiのスイッチオフ)だったりもする。Mastodonは今のところ楽しいツールだし、Bitcoinは既存の貨幣経済を破壊していない。箱庭の中の世界だ。
だから、僕はこういった話が何かの自由を再び取り戻すようなツールとして語られることには懐疑的だ。僕たちは、既存の何かによる「支配」から解き放たれることを目指してはいけない。取って代わるという意思を持った時点で、それは単なる新たな支配の始まりへ向かう闘争になるだけだ。Mastodonはルールを守って遊べば干渉されづらいセミクローズド・サークルを量産するだけではないだろうか。それはそれで楽しいことだと思うし、かつてそれを行っていたサービスが滅びたように、時が来れば滅びるだろう。