novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

議論におけるゴールの設定の話

繰り返しになるけど。

現状の社会の見解として白黒はっきりつけたい場合のゴールってどうしても「適法かどうか」になってしまうんですよね。でも、世の中に対する議論は世の中をどう変えていくか、という話でもやるべきであって、日赤ポスターの件とかはまさにその類の「色んな人が違う基準を持っている」話なわけです。
だから、「自明である」という言明はあまり意味なくて、法律とか条例に照らして「違法ではない」以上の議論は深まりません(ex.エロだからダメに決まってるだろ!→ダメというレベルじゃないので大丈夫です)。

もちろん、「こんなのは規制すべきだ」という意見を表明することは全然OKだと思いますが、現状の「規制の対象ではない」ことを変えるためには明確なロジックや基準の提示をした上で、社会の考え方としてそれにどう合わせるべきか(あるいは合わせるべきでないか)を丁寧に議論することが必要なんではないかと思います。これを「嫌に思う人がいる」くらいの基準で議論を端折ろうとしたり、別の例を持ち出して一緒のものとして扱ったとしても話は解決しませんし、強引に進める(つまり圧力を掛ける等のアプローチをする)と他の社会正義に抵触して批判される(例えば、別の部分への抑圧)ことにもなりかねません。

とにかく、色んな人の見解が噛み合っていないものほど丁寧な議論が必要で、最初に設定したゴールに到達しなくても一歩近づけばそれは前進なんだよ、という意識でいることが大事だと思うんですよね。

で、割とセクハラ絡みの話はそういう点をショートカットするせいで社会が壊れる、ということを誰かが言っていた気がするけど、それはわかんなくもない。というか、それに限らず社会通念上許される(これ自体は社会通念の方が間違っている)ことが急に取締が厳しくなるような話って社会が揺らぐんですよね。著作権とか、交通違反とか、そういうところで起きがちな話。法律が現実に合ってないせいで多少めをつむって運用されていたらそこが急に厳格になるとか。違法「ダウンロード」なんてのはそれを更に十分な議論しないまま法律の方を変えちゃった話だし、赤ちゃんの入浴写真が児童ポルノで捕まる話みたいなのもその類ですよね。