「マジで痴漢やめろ」運動や「レイピストはあなた」運動は善人にトゲが刺さり、犯人には平気でしょう。
— koh.mayama (@stella_portman) 2020年1月20日
映画館でお金払って観てる観客が延々と映画泥棒呼ばわりされ、たまにイラッとするのに似てる。
「痴漢逮捕に協力を」や「レイプ防止に協力を」など、協力を呼び掛けるほうが角が立たないのでは?
個人的にはこの手のイラッとする話は「早く勉強しなさい」と似たようなカテゴリーだと思っているんだけど、この話の応答として「善人だったらイラッとしない」というのはコミュニケーションのなんたるかを理解していない発言にも思えるわけよ。
人の善悪とイラッとするかどうかは全然別の次元にあって、むしろ問題意識を持っている人が「お前は何も考えてないだろうが」的なニュアンスの言葉を浴びせられてイラッともしなかったらそれは感情の受容器がぶっ壊れている疑いすらある。
とまれ、この手の善人を仮定した論法というのはそこで仮定された「善」から少しでも外れている人間に「善なるものとはこれである」ということを押し付けていることに他ならないし、もっと平たく言うと悪であると仮定していることに他ならない。まあそこまで本気で考えて喋っている人はいないと思うけれど。
悪人には痛痒を感じさせないのと同時に、完全なる善と悪の間で揺蕩っている人間をイラつかせる。それがどの程度世の中を変える実効力のある行動なのかってのは評価したほうが良いよね。往々にして、人間は問題の本質やその原因ではなく、それを「お前にとっても問題だ」と押し付けてくる人に恨みを抱くものなんだよ。その押し付けが仮に正しいとしてもね。