novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

SNSで頭おかしいことを書く人は必ずしも頭はおかしくない

早く人類からインターネットを取り上げるんだ!早く!

しつこいようだけど、インターネットは人類には早すぎた。これはこれだけ「公私混同しない」「本音と建前をきっちりわける」という価値観を大事にしてきたはずの日本人コミュニティーにおいてSNSというツールを介すとあっさり「公私混同」「本音ダダ漏れ」となる現実を見るともう止めるのも遅いんだろうな、と思うし、クラブなんちゃらはそれを加速させるツールだと思う。「一見ローカル風」が一番あぶねーんだよな。

おしゃれは我慢とよく言ったものですが、僕はリベラルも我慢だと思っていて、正直妥協を許さないリベラルってのは自己矛盾でしかないわけですが、それにしてもこの公における我慢という行為をあっさり放棄する人の多さと言ったらどういうことなんでしょうね。

建前を守るために本音を隠して理想を語り、現実を何とかするために理想を曲げて妥協をし、という人生ってたしかにしんどい。理想と現実の差異が厳しいことからどうしても「本音」ってのが理想に対する本音ではなくて、例えば「バカは全員死んでくれないかな」というような理想が実現できないことに対する愚痴みたいなものになりがちなんだよね。それはほんとうの意味での本音ではない(理想に即して無いからな)のだけど、人間ってそういうものだよね。差別のない世の中にするには差別の対象が絶滅すればよいのだ、みたいな。理想を追うストレスからこういった行為に逃げる、というのも歴史上の独裁者における行動原理だったりするのではないかと思っていますが。

ともあれ、SNSってのはその種のストレス増幅機械かつ発散機械という非常に危険性の高いものになってしまいましたね。

ローカルなコミュニティでは「冗談」「失言」で許されていたものがSNSでは人間性の根源と取り扱われる。なぜか。そりゃTPOですよね。お前それ国連に招聘されたときに言えるの?みたいな。SNSというかインターネットってのがそういう場であることは誰が望んだわけでもないけど少なくともアラブの春以降はそういうものなんですよ。

そして、ローカルなコミュニティーも完全にローカルで完結しなくなった。昔だったら地元の図書館で地方紙の過去分を目で追わなきゃならなかったような問題が地元民や潜入取材でまたたく間にインターネットに広まる。ああ怖いね。そしてクラブなんちゃらが(天丼

愚痴や冗談に対して寛容な息抜きの場、というのは人間には絶対必要だから、そういうものを赤裸々にするという行為自体はもっと咎められて良いと思う一方で、地方の講演会だからいいだろとかそういう考えも流石にちょっともう無理だよね、というあたりで折り合いをつけていきたいところではあります。