novtanの日常

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【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオン劇場版で僕たちは救われたのか

仰々しいタイトルですが、ようやく見れたので今日は忘れないように感想だけ。まだ誰の感想も見てないのでフレッシュだぜ…

最初に一言

良いジブリ映画だった!

公開済みの冒頭

公開済みなんであれですが、USBだーってみんな思ったよね。なぜワイヤーで吊るされるのが必要なのか、とか、なぜ敵のエヴァの型式に詳しいのか(既に計画されていたものなのかね)とか色々思ったけど、とりあえずマヤの先輩大好き男嫌い!が見どころ(色んな意味で)。
しかしああいう装備に換装できる技術と資源はどこにあるんだろう。

ジブリ映画地帯

人がね。完全に迷い込んでるよね。現実と非現実のどちらなんだろう、と悩むことはある。Qのときのトウジがもういない的な匂わせはなんだったんだろうか、と思わなくもないけど。
ところで、この一連パートについては、やっぱり震災の影響は大きいのだろう。というかあの震災どころではない世界になってしまった以上、サバイバーをどう描くかが大きく問われていたはずで、もっと陰惨なものを描くこともできたはずなんだよね。それがなぜこうなったのか、ということに色んなことが込められている気がしてならない。
まあおおよそ(現実的な部分の)世界の設定のネタについてはこのパートで答えを出した、というところでしょうか。

シンジとアスカとレイ

心を閉ざしているモノと、心を封印しているモノと、心を得ようとしているモノのあり方について。ここではアスカだけが不憫だよな。答えを出さず、勝手に消えて、舞い戻ってきたもの。時間の経過は問題じゃなかった。一方で、急に14年を突きつけられて、大人になっちゃったトウジとケンスケを見るってのは荒療治だよなあ。余裕ぶってんなよと言いたい気もするけど、取り巻く過酷な環境を見るとそういう気持ちも無くなってしまう、というところか。

ミサトとリツコ

なんにせよミサトは自分勝手ではある。カジに対してのコメントが色んなことを物語っているけれども、目的に囚われすぎて周りを振り回して最後の決断は情動にすぎる、というリツコの評価が全てだろうし、だからこそ人間サイドの代表として存在しているんだよなあ。まあでもシンジくんの取り扱いが下手すぎた。作劇上の都合に振り回されたキャラ、とも言える。お父さんアレだし。リツコは吹っ切れた冬月同様のポジションでTV版のような葛藤のある人格よりも最終的には存在感がなかったね。

ピンクとサクラ

葛藤のある二人。最後のお約束な茶番劇も救いと赦しのために必要なやり取りだけど、そのためのキャラ感がどうしてもあるのがちょっとかわいそう。

出撃!

はい、清算終了!ってな感じでスタート。あえてのBGM、現実味のない境界面、ここからファンタジー。艦隊戦だけど、実質的には怪獣大決戦(だってねえ。曲とか。)
こういうたまに描きたいことよりやりたいことパートみたいなのがあるのが作り手(庵野だけではなくね)のワガママでもあり、この作品の本質でもあるんだろうな。いいんだよ細けーことはドンパチドンパチってのが根源的にないとこうは行かないだろうし、しかし、理由付けは必要だ、というのが結局の所この長くかかった物語のバックグラウンドなんだろうと僕は思ってしまいます。エンタメが社会現象になってしまったことからの要請された物語への傾斜が結局のところ、旧劇場版の終わりを生んだんだ。

ネルフ本部とエヴァ

いや、アレ、殲滅してないよね。見逃された感?それとも?
結局の所、アスカはなぜ13号機に対処できなかったのか、イマイチ理解が及ばなかった(それがシナリオどおりって話ではあるけど)。

裏世界

いやね、昨日の夜何故かオススメで出てきた「神々のトライフォースRTA」の動画を見ていたんですよ。きっとこのことを示唆していたに違いない。もうここまでくるとビジュアル的にも理屈の世界ではなくなっているので、あるがままを受け入れるしかないでしょう我々は。

パチスロ シン・エヴァンゲリオン

ゲンドウの操る13号機を倒せばボーナス確定!背景が教室だと大チャンス!
絶対出ると思います。

げんどうくん

呪われた人。本当はもっとずっと前に呪いが解けているのに、自分で呪いをかけてしまった人。この物語はげんどうくんに左右されているように見えるけど、実際のところ、げんどうくんもある種の被害者だわな。自分で幕を引くことを余儀なくされているという点でシンジと裏表の関係でしかないよね。

新しい槍

人間の可能性を信じましょう、のパート。そしてマンガ的伏線の回収。ミサトさんはまあこうならざるを得ない(とは言え、この世界のルールが良くわからないので死とはなんなのか、という感じがあるけど)。

救済

まどかマギカの本編が終了したときの感想で、エヴァを完結させるためのハードルが上がった、ということを書きました。それに対して(いや、対してもらったわけではないけどw)庵野監督の出したアンサーとしては、およそ妥当なものだった(演出はともかく)と思う。
ループものでありながらループものでない、メタな立ち位置のキャラが一方的に認知しているだけのループものと言えばよいのかな。ぶっちゃけ、カオルくんいらんかったんじゃないか、とすら思える。もしかしたら途中で立ち位置が変わってしまったのかもしれない。過去にカオルくんが登場してしまったからこそ、ループものであるという事実に向き合わざるを得なかった、というね。
まさかの旧劇場版エンドに行くのかと途中ドキドキしましたがw

旧TV版と旧劇場版を完全に踏まえた形で、新しい結末を作った(けど、実際には新しくない気もする)。これは一応シナリオは勝利したかなって言ってもいいと思います。一方で演出は旧版を踏まえすぎたのか結局の所これが趣味なのかわからないけど、やっぱりメタな方向になってしまうわけよね。ある意味、(本当の)現実との接点をどうしても作りたかった、ということなのかもしれない。旧劇場版が僕らに突きつけたアレも悪意ではなかったはずだし、そのことへのアンサーという気持ちがあったのかもしれない。ともあれ、ある程度明確な形で作中の世界は救われ、僕たちもいくばくかの救いを胸に、劇場を後にできるのだ。

マリEND

イスカリオテのマリアさん(この言葉に込められた意味はなんだったか、きっとみんなが考察しているだろうけど、結局の所あの教室?ゼミ?で違うものを見ていたのはマリだけだったのかもしれないし、もしかしたらユイも共犯者だよね)、大人になる力を得る。ずっと不思議な立ち位置でずっと不思議なことをしてたけどさ、結局の所なんだったんだろうか(とくに、ヴィレのみんなにどういう理由で受け入れられていたのか、を考えると、我々にはわからないけど作中の人物にとっては正体は明らかだったのかもしれない)。まさか最後までそこにいるとは思わなかったよね。ともあれ、エンディングは蛇足のようなものかもしれない。僕にとってのエンディングはやっぱりシンジがアスカに受け入れられて前に進めることができたところなんだろうな。

その他雑多なこと

  • 13号機対初号機の前半パートは狙ってやっているのでなければちょっと今までのバトルパートに比べると宙に浮いた感じがしたよね
  • 大量に降り注ぐエヴァっぽい何かのCGでござる感がもうちょっとなんとかならなかったか
  • 総じて、作る時間は足らなかったんだろうな、という感じはする

以上終わり。また気が向いたらなにか書くかも。