novtanの日常

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性癖を開陳する場としてのインターネットについて

インターネットの公共性についてあらためて語るってのもアホくさいので省略するけれども、なんにせよ公共の場で性癖を開陳するというのはお行儀の良い話ではない。
一方で自由なウェブという概念を完全に捨て去る必要もないとは思うんだよね。完全クローズドの存在を作るのが難しいからと言って、半クローズドを志向することは良いと思うし、そこにあえて踏み込んでくる輩に関しては「じゃあ来るなよ」である程度は済ますことはできる。参加者がルールを守らないコミュニティは衰退する。それだけのことだと思う。オープンなSNSを利用する際は節度をもって、ということだと思うし、節度がないことでオープンな場で許されるはずの表現が過度に性的なものと認定されてしまうこともある(そう追い込むこと自体、ある種の攻撃といえる場合もあるだろう)。

でも、このことできれいな線を引くというのはかなり難しいことだと思う。どこまでが許されて、どこまでが許されないかなんて受け手側の恣意的な判断にどうしてもなってしまうからね。だから、一人ひとりが欲望のままに垂れ流すのではなく(全部が噛み合うことは不可能であっても)、それなりの論理と基準を基に行動する(意識を持つ)ことは大事なのだと思う。そこにロジックがあれば、基準を動かすことの妥当性についても議論できるし、結果として落とし所を見つけることもできるだろう。もちろん、それは性癖を開陳する側の問題だけではなく、それを過度に(ここでの過度は場にふさわしくない、程度の言葉)性的なものだとクレームする側にも言えることではある。

ただ、実は批判する側が明確な論理を持つのって結構難しい。論理に窮した挙げ句、存在そのものが性的であると突き抜けてしまったのが巨乳は存在自体が罪問題ではあるし、制服の絵そのものがエロい問題ではある。もっとも後者は想起させる仕掛けが施されている場合、性癖の開陳と紙一重ではある(場合もある)。客観的な基準を作ろうとすればするほど、存在そのものが悪いという理屈に近づいていくし、そういうロジックにもとづいた「巨乳はエロいから悪」という基準は「いやおれ貧乳のほうがエロいと思うんだけど」で粉砕される(実際にはされてないけど、これが反論として有効になる程度には雑なことを言う人も多いだろう)。結局、何かが性的であるという問題を語るには、自分の性癖に関する見解を述べざるを得ない(それをやらないと単なる主観でしかない)し、それが辛いから目をつむってるだけしかできない、という人も多いと思う。どちらかというとダイレクトにNoを叫ぶ人よりも、そういう人たちに意図せぬ形で性的なコンテンツがカジュアルに提示される状況の方が気持ち的には良くないって思う。

冒頭で「お行儀が良くない」と述べたとおり、これはお行儀の問題として考えたいと個人的は思っていて、逆に言うと、半クローズドな場に特攻してきて問題点を論うのも、お行儀が良くないという点では似た者同士である、と片付けたいわけ。でも、今のインターネットって、そういうことを(正しいプロセスかどうかは別として)真面目に考えている人以外の人口が増えすぎていて、もはやお行儀(ネチケットみたいな話も含めね)の良さを期待する(よくしていく)こともちょっと難しくなっているとは思う。そうするとどうしても「ルール」の世界に踏み込まざるを得ない。であれば、ルールを決めようとしている人はなおさらロジカルな議論でルール作りをしてほしいんだけどね。タイムリーな話として都が「不快な表現」とか言い出したけど、こういうのが一番雑で社会をバカにしていると思う。