novtanの日常

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AI時代における社会的コストの負担について考える(考えるだけ)

生成AIの実用が進んできて、我々の生活の中にどんどん食い込んできている昨今ですが、20年ほど前の社会を考えると、インターネットが同じような地位を占めていたと思います。業務のシステム化やサービスのWeb化が進んでいき、スマホは必需品となり、いろいろなものが便利になった一方で、生活における依存度の高い存在が生まれてしまったように思っている人もいるんじゃないでしょうか。もはや、Webと縁のない生活をしようとすると不便極まりなく、その結果として最低限スマホと回線を用意しないといけない。これは新しい税だ、ということを誰かが言ってきた気がしますが、さて、AIは我々の社会にどういう負荷を与えるのか。

数年前、ビットコインの採掘が消費する電力が問題になったことがありますが、同じことがAIにおいても言えます。今のところAIはコンピューティング資源を大量に食いつぶす化け物であり、便利になればなるほど資源の消費量は増え、AIと無縁のはずだった既存のシステムから情報を無限に吸い上げようとしたりもします。AIによって社会の活動が効率化される一方で、我々人間の行う活動がそれによって減るわけではない(むしろ増えているのでは?)となると、トータルの資源消費量は当然プラスになるわけで…

だからAIを規制せよ、というのはナンセンスだと思うんだけど、一方でこういった問題があまり議論されないのはなぜなのか。AI企業がどの程度GPUを通して電力を消費しているかはおそらく推測可能なんだけど、ChatGPT先生は教えてくれなかった。

ともあれ、我々の生活(仕事)において、AIの依存度が高まると、当然そのコスト負担も増えることになる。今のところ、それによって不要になった人件費よりはるかにコストが低いと言われているけど、これは本当なのか。そもそも、企業活動のコストとしてAIにどんどん金を払うというのは妥当なのか。持続的可能な社会を作るにあたり、人間に給与を払うことは重要なのではないか?仕事を超効率化した結果、そのサービスを使う人間がいなくなったりしないのか。そういうことを考えていかないと、結局儲かるのはAIの会社だけ、みたいな話にもなりかねないよね。