novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

行きがかりで国産うなぎを食べたがやはり美味かった

害虫とかは平気で絶滅に追い込むのに食い物とか哺乳類は生物多様性を守るとかで保護するってのはダブスタだと思わなくもないんだけど、そもそも人が神の手として生物の存続を意図的に左右するというのは一神教の世界観的にはOKなのか?ということがいちばん気になる今日このごろです。

人が他の生物を保護しなければならないのはある種の傲慢なんだけど(船にくっついて他国に出かける生物ってのも単に移動の新しい手段を見つけただけだと考えられるよね)、他の生物にはない、急激な変化をもたらす力を持ってしまったことの責任という考え方もできるから、「自然に反している」というわけではないんです。

ともあれ、絶滅の危機と言われているうなぎを食すということには一定の罪悪感が発生する行為になりつつあるし、それに対して言い訳を考えてみただけなんですがね。

うなぎを食ってると思うのが「この旨さの半分はタレだな」。うなぎのタレご飯、いけますよね?何杯もいけますよね?ぶっちゃけマズイうなぎ喰うくらいならタレご飯だけのほうが美味しいよね!?

不思議なものだけど、うなぎのタレご飯を食べているときは、これはうなぎのタレご飯だという認識があるがゆえにそこにはないうなぎの味が想起させられ、十分満足してしまうことがあるのだ。資源問題解決!うなぎのタレは地球を救う!

…はあ。

残りの半分はやっぱりうなぎであって、うなぎじゃないとダメなんだよなあ…

でもさ、食べ過ぎた結果として絶滅しちゃって食べられなくなったら、それはそれでしかたないじゃん、と思わなくもない。材料が絶滅したせいで幻になったレシピってわりと沢山ある。絶滅してなくても、例えば毒があるからダメになったとか、危険だからダメになったとか、色々あるわけで。

色々なものを食べ「られ」なければならないという人間の業は深いよね。うなぎなんて食べられなくても人類は絶滅しない。それをわかっていて絶滅してもいいから食べたいというのはこれはもう完全に地球の生物の頂点にたった存在としての傲慢であるし、知恵を得てしまったことの罪であると思う。

ああでも。だから人間とは罪深いんである。食べ続けるためなら我慢も辞さないという恐ろしい生き物なのである。存在としての消滅を許さず人に食べられる存在として水産資源を管理することを主張しているわけですから。

相対的に見て、日本人はこの手の話に我慢がきかない。本能のままに食い尽くすことが慈悲であると考えているとすら思うくらい、我慢がきかない。本能的すぎていっそ清々しい。日本人の食欲にかかるとすべての生物は絶滅の危機を迎えるのである。それを避けるためには不味くなるしか無い。

絶滅すればどうせ食べられなくなってしまうんだから、しばらく食べなくてもいいじゃない。ちょっとは我慢しようぜ…と思いながら食べるうなぎは背徳感が満載で普段よりも美味しく感じられるのでありました。