novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

理不尽な死が身近になる世の中で

基本的に、日本の治安がよく、保守的志向が強い要因として「滅多なことでは死ぬまでのことにはならない」というのが重要かと思う。
それなりに日常をこなしているだけで、それなりの生活をでき、不幸にも病気や事故に合うことはあってもそれ自体は「とても不幸」な枠に入る。少なくとも、多くの人たちが「明日死ぬかもしれない」ことに怯えて生きているということはあるまい。

震災のような、突発的な出来事においても(人災の側面は多少あるにしても)「どうしようもない」理不尽さであり、人為的な理不尽ではない。

コロナだって、発生し、流行が始まるところまでは当然「自然災害」の一種である(真実はさておき)けれども、その後の対応については人智の及ぶところという点では、うまくいかなければ「人災」に近づいていく。ましてや、「政治的な思惑」にその結果が左右されているのであれば、それは誰かの判断によって災害がもたらされた、と言っても過言ではないだろう。

ともあれ、まだ、「一部な不幸な人」に問題がとどまっているうちは、僕らは「他人の不幸」に思いを馳せ、自分の幸せが崩れないことを願うだけだろう。でも、確率の問題が無視できないほどに上がってくるのであれば、その人災に目をつむることは出来なくなるよね。生きるということを社会がフォローしてくれない、となると、今までそのフォローによって生かされた人にとっては緩やかな死刑宣告に等しいよね。その状態で「ささやかな幸せとともに生きる保守的な人」なんて成立しうると思う?思わないよね。

そういった人たちの志向が内向きにとどまる時期は、社会の目に見える事象は自宅療養死が増えたり、自殺が増えたり、くらいにとどまるんだろうけれども、それがある程度のしきい値を超えてくると、外向きのアクションに変化するよね。それが「選挙によって政治を変えよう」であればまだ平和な話だけれども、そうじゃなければきっとテロみたいなものが起きるようになる。単に、個人が我慢ならなくなったことをトリガーにしたものであればともかく、政治や行政が「不正を為している」という認識が広まると、それは政体を転覆させればならない、という使命につながるよね。どんなに選挙でって話になったとしても、それを司っている期間が不正をすることが信じられるのであれば、それは解決策にならない。
だから、今、民主主義に対して挑戦している(つまり、不正に超越しようとしている)のが政府であると見えてしまうような行動(特に国民に対する説明不足)が目に余る状況が続いていることは、水面下で民主主義崩壊へのカウントダウンが行われているような状況に等しい。何を開示請求しても黒塗りの書類が出てくるのがそれを象徴している。あれ、どう考えても僕たち舐められてるよね。

理不尽がすぎると、生きるために打倒しなければならないものが生まれるんだよ。