novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

なんでインターネットに言葉を投げているのに「批判された」って文句を言うのだろうか

何回も言っている話ではあるけど、Twitter追悼(まだ死んでませんが)として。

mixiからTwitterみたいな流れがあったのがそもそも不幸も不幸、日本のインターネットを悪くしたのではないかと思ったりしてしまうんだけどさ、学校裏サイトとかもそうかもしれないけど、まあとにかくみんなインターネットのサービスは「仲間内だけでのコミュニケーションができるもの」と少し勘違いして始まっているよね。インターネット老人会的にはチャットツールだって分断されていたし、今ならLINEだってそうだし、公開範囲を制限してコミュニケーションするツールなんて山ほどあるって思っちゃうんだけど、なぜTwitterが「全世界につぶやくもの」と強く認識して自制心とともに使われなかったのか、という点だけが今となっては残念だよね。

でも、その動機として「Buzzりたい」みたいなものはあっただろうし、それに伴う危険なんて度外視されてたんだろうなとも思う。

承認欲求を満たされたい、っていう気持ちはわかるけど、なぜそれを全世界規模の相手に対して行ってしまうのか。まあ単純な話としてはそれは無知だからよね。結局のところ、インターネットを使っている人の大半は実はインターネットがなんであるかなんて知らないんだよ(インターネットは免許性にすべきみたいな議論も成立しうるとすら思う程度にはね)。まあしかし、今のインターネットはもうインフラとしては公道みたいなものだけど、そこには標識もあんまりないし、ルールも定かではないし、仮にルールがあったとしても学校でそこまでちゃんと教えてくれない。道路だったらとりあえず赤信号渡ったら危ないってことくらいはわかってると思うけど、Twitterでつぶやくと何がおきるかもしれないか、なんてあんまり教えてもらえないよね。そして、真面目にルールを作ったとしてもそのルールは公道のルールよりも複雑で、かつ流動的なものになるだろう。

そう考えるとさ、赤ちゃんが道路に飛び出してくるようなときに「ルール守んねーやつが悪いから」でブレーキかけないで轢いてよいかというとダメだろうけど、分別があるはずの大人が道路の真ん中歩いてたらクラクション鳴らされる罠。問題は、車に載っている人から見て、そいつが大人なのか赤ん坊なのか、にわかに区別がつかないってのがインターネットだ、というところなんだよ。その点から言うと、インターネットは実名制であり、常にリアルの存在と同一性を示しながら活動すべき場、という風に最終的にはなるべきなんだと思う(というか、例えばメタバースが行き着くところまで行ったら単なるネットワークインフラとしてのインターネットは本人認証を受けながら使われるところになるべきなのでは、と思わなくもない。サービスの中では匿名性を保っても良いと思うんだけど)。

ともあれ、今の段階のインターネットにおいては、CLOSEDなサービスか否かくらいはきちんと判別して、立ち振舞を変えるべきだと思うよ。なんどか言ってるけど、文脈が共有できている仲間内のDiscordはちょっとセンシティブな会話をしても誰も誤解をしないし揉め事にならない。とても居心地が良い。言ってしまえば、承認欲求さえ取り払ってしまえば(せめて、仲間内で称賛される程度で満足しておけば)、公開SNSで危惧される危険性などほとんど回避できるのでは、と思うよね。そうすると山師しか残らない感じになってしまう気はしていますが。